特別展示会附属図書館
TOPごあいさつまえがき資料解説資料リスト会場マップ

展示資料解説   展示会場図(別ウィンドウ)

ケース1ケース2ケース3ケース4ケース5ケース6ケース7ケース8ケース9ケース12ケース15ケース16ケース17ケース18

:::::ケース9:::::資料をビューアーで見る 

32 享保印譜 一峯池永栄春道運甫 篆刻 上中下卷三冊 (1帙) [渡辺信寄贈]

 著者の池永道運(1665~1737)は書家・篆刻家として知られた人。江戸箱崎の新山氏に生まれるが、後に池永氏を継ぐ。木綿問屋の隠居。一峯、清秀軒、山雲水月主人などと号す。霊元上皇などの貴顕に数多くの印章を刻して奉呈した。本書『享保印譜』は池永が刻した数々の篆刻を集成したものである。年紀を欠くものの、享保年間中に刻されたものが主たるものと思われる。序文を記さんとしたものか、白紙の罫紙のみが10丁ほど付されている。上中下卷3冊に、総計468顆を収める。古雅・洒脱、硬軟両様の刻風は見る者をして飽きさせない。まさに無限の小宇宙たる篆刻の世界。中でも目を引くのは、細井廣沢に関する印記が収録されていることである。「廣澤」、「細井知慎字曰公謹一字思貽」、「奇勝堂」である。細井本人も篆刻をよくしたことで知られるが、著名な彼の「廣澤」印が池永の作であったことはこれによって分かるのである。(佐藤賢一)

:::::ケース10:::::資料をビューアーで見る 

33 行書千字文 細井廣澤 享保8年筆 2冊 [青洲文庫]

 『千字文』は、六朝梁王朝の周興嗣が撰した初学者向け教科書。4字を一句とした250句、合計1000文字からなる韻文。近世日本において、習字の手本としても流布したもので、本書はそのような一点である。筆者は細井廣澤(1658~1735)である。細井廣澤は一般に書家・漢学者として知られる人であるが、他にも、武芸者、測量家としての顔を持つ多才な人物であった。書肆は江戸の富士屋弥三衛門。残念ながら刊行年を明らかにしない。細井の筆法を知らせる格好の書である。(佐藤賢一)

34 好忘漫録 細井廣澤 2冊

 『好忘漫録』、『図絵宝鑑続編』各1冊を1帙に収める。各冊に狩野亨吉の旧蔵書であることを示す「狩野氏図書」の印記を捺した紙片が挿入され、そこに「細井廣澤自筆」と記されている。確かに『図絵宝鑑続編』の末尾には朱書で「廣澤」の文字が認められる。これのみを根拠として細井の自筆本であることを同定することは難しいが、ここでは参考資料として提示し、今後の研究に期したい。『図絵宝鑑続編』には「日本元禄乙亥夏四月十有三日夜二更」に筆写した旨が奥書として記されている。明代の絵師・画人を一覧して紹介する内容である。一方の『好忘漫録』は雑録集で、冒頭に「己巳七月六日起」(1689年のことか)と記されている。(佐藤賢一)

:::::ケース11:::::資料をビューアーで見る 

35 前賢故実 菊池容斎 明治元年 版本および写本 10巻(2帙) [南葵文庫]

 勤王の志の篤かった菊池容斎(1788~1878)が描いた500人を超える賢皇・忠臣・烈婦の画像と略伝である。明治天皇にも献上された。有職故実と時代考証に優れ、天保7年(1836)に完成し、明治元年に刊行。梶田半古・小林古径・前田青邨・今村紫紅たちによって隆盛を見た近代歴史画(肖像画)の模範となった。容斎の通称は、武保。高田円乗に師事したが、狩野派だけでなく、広く諸流派を学んだ。南葵文庫の全10巻のうち、最初の2巻は「紀伊国徳川氏図書記」の大判の蔵書印のある版本だが、虫食いによる痛みが激しい。3巻以降は、南葵文庫書記長・原正雄が刊本を筆で臨写した写本である。展示した紫式部の箇所も、臨写したもの。『千載集』に選ばれた紫式部の「いづくとも身を遣(や )る方(かた)の知られねば憂(う )しと見つつも永(なが)らふるかな」という和歌が記されている。『源氏物語』という、世界に誇る美しい物語を書いた紫式部。彼女が抱えていた華麗なる孤愁を見事に描きあげた佳作である。(島内景二)

Copyrights © 2007 東京大学附属図書館