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14,15 並山日記 黒川春村 文久元年写本 10巻3冊 [青洲文庫]

 震災後の総合図書館の復興に多大の貢献をした青洲文庫の旧蔵書である。青洲文庫は、甲斐国の市川大門町にあった。紙問屋「叶屋」を営む豪商の渡邊家は帯刀を許され、代々好学の血筋で、三代にわたって膨大な書籍を蓄積した。寿(春英)は主として和歌・国学関係を、信(青洲)は漢籍・歴史書関係を、澤次郎は浮世草子・洒落本関係を収集した。それが一括して総合図書館に移ったのである。太平洋戦争末期には、総合図書館の貴重書が市川大門町の青洲文庫跡の敷地に疎開している。青洲文庫旧蔵の写本『並山日記』の末尾には、文久元年(1861)、渡邊家の依頼で江戸浅草の高橋廣道が本文と着色挿絵を忠実に模写したという識語がある(原本の成立は嘉永3年)。ここに展示したのは、渡邊寿の家に、国学の師である黒川春村(1799~1866)が江戸から来訪して大歓迎される場面などである。少し後には、地元の紙漉の工程を見学する箇所もあり、青洲文庫のふるさとの面影をいきいきと伝えている。(島内景二)

16 木工集 柏木如亭 寛政5 年 版本 1冊 [南葵文庫]
17 楽其楽園記 安積艮斎 天保8年 版本 1冊 [南葵文庫]

 この二冊の版本は、共に麻布にあった南葵文庫の旧蔵書である。近くの偏奇館に住んでいた文豪・永井荷風(1879~1959)の日記『断腸亭日乗』大正15年6月18日の記事には、「晴れて涼し。昼餉の後南葵文庫に赴き柏木如亭の木工集、及び艮斎の楽其楽園記を読む。楽其楽園記は飯田藩堀氏が高田村下屋舗の林泉なり」とある。ここに展示した二冊は、この日の午後に荷風が実際に手にとって閲読した実物である。なお、『檸檬』で知られる梶井基次郎(1901~32)も、南葵文庫の利用者だった。大正14年6月8日付の友人への書簡で、「此(こ )の間(あひだ)、南葵文庫で雪舟画譜(二冊)東洋美術大観(十六冊)を見ました、なかなか立派ですね」と書いている。この豪華で大型の美術書も寄贈に伴って総合図書館に移り、現存している。島崎藤村(1872~1943)も、南葵文庫を利用していた。文豪たちの触れた書籍の実物が、総合図書館に多数存在することは、「美しき本への思い」が絶えることなく現代まで受け継がれてきたことの証しと言えよう。(島内景二)

18 演孔堂詩文 中島撫山 昭和6年 私家版 1冊[中島敦寄贈]
19 斗南存藁 中島斗南 昭和7年 文求堂書店 上下2冊(1帙) [中島敦寄贈]

 『山月記』『李陵』などの名作を残した中島敦(1909~42)は、東京大学国文科に学んだ(昭和8年卒)。敦は、祖父・中島撫山(慶太郎)の『演孔堂詩文』と、伯父・中島斗南(端)の『斗南存藁』の二冊の出版物を、母校の図書館に寄贈した。『中島敦全集・第一巻』の冒頭に据えられた「斗南先生」には、「自分の伯父の著書を――それも全然無名の一漢詩客に過ぎなかつた伯父の詩文集を、堂々と図書館へ持込むことについて、多少の恥づかしさを覚えないわけには行かなかつた」と、回想されている。全集の解題では、敦が寄贈したのが「昭和八年一月二十八日」だったと記してあるが、総合図書館に現存する実物に押されている日付を見ると、「一月十四日」である。敦の一読忘れがたい漢文体の張りつめた名文は、中島家代々の血脈であったことを感じさせる。(島内景二)

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