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10,11 絵入好色一代男 井原西鶴 愛鶴書院 大正15年刊 版本 7冊(1帙) および版木 

 現在では、『源氏物語』と並ぶ高い評価を海外で受けている井原西鶴であるが、その「好色物」の出版は、近代日本では茨の道だった。西鶴を再発見した功労者の一人・幸田露伴の弟子で、小説家でもあった神谷鶴伴(本名・徳太郎、1874年生まれ)は、西鶴の作品を復刻した版本を愛鶴書院から発行した。その動機は、震災で総合図書館の貴重書が焼失したのを嘆いた言語学者・上田萬年と意気投合したからだった。震災に負けずに、美しい古典を未来へ残すために、鶴伴は忠実な復刻を志した。内務省警保局の内諾を得て、会員頒布という形態で、『好色一代男』『好色一代女』『好色五人女』を、大正14年から昭和5年までに相次いで刊行した。ところが突如として、昭和5年、「風俗壊乱」の罪で発禁処分を受け、400枚の版木は警視庁に没収された。昭和10年、この版木は返却ではなく「移管」という名目で、総合図書館で保管されることになった。この時、国文科教授・藤村作の尽力もあった。鶴伴は、世間で国宝級の扱いを受けている塙保己一の『群書類従』の版木に勝るとも劣らない価値を、自分の携わった西鶴の版木が持っていると確信し、「東京帝国大学に保管されてゐる限り後世に残るであらう」と期待している。それから、70年以上が経った。このたび展示した『好色一代男』の版木と、それを用いた出版物は、神谷鶴伴の書物に寄せる思いの深さを私達に語りかけてくる。展示したのは、世之介が大坂新町の揚屋の二階から、遊女たちの生々しい生態をのぞき込んでいる場面である。

 なお、霞亭文庫には、「大坂住 大野木市兵衛板」という刊記をもつ版本の『好色一代男』がある。(島内景二)

12 御成敗式目 伝・建部賢文 筆 貞永元年 1冊 [穂積本] 

 『御成敗式目』は1232年に制定された鎌倉幕府の基本法典で、武家社会の秩序維持の基盤を与えるものとして後代にも参照されている。この式目は数多く転写されて流布しており、ここで展示をしているのもそのような一本である。奥書によれば、本書は室町時代の末期に活躍をした建部伝内(賢文、1522~1590)の直筆であるとのことである。(奥書「右建部傳内直筆依懇望令授与畢 野々村兵部輔 伊藤隼人殿」)この建部伝内は近江の人で織田信長に滅ぼされる六角氏に仕えていたが、主家の没落後は蟄居していた。しかし書道に巧であったため、豊臣氏の求めに応じていくつかの作品を残している。彼の息子はこの伝内流を伝え、徳川家康の右筆となっている。伝内の曾孫が和算家として著名な建部賢弘である。(佐藤賢一)

13 名家短冊 二 僧慶雲 他 3冊 [焼け残り本]

 来歴不明の全三冊(現存)の古筆集成であるが、震災以前の展示会目録に書名が見えるので、焼け残り本かと推定される。『二』が「和歌四天王」の「僧慶運」から始まっているので、所在不明の『一』は、同じく和歌四天王の「兼好法師」あたりで終わっていたものと推測される。ここに展示したのは、「寛永三筆」と称えられる本阿弥光悦(1558~1637)と松花堂昭乗(1584~1639)の短冊である。まさに、日本の美しい文字、美しい本の典型である。光悦は『後撰集』の「夏のよの月は程なく明ぬれば朝のまをぞかこちよせつる」(読み人知らず)という古歌を、昭乗は『新古今集』の「芳野山花や盛ににほふらむふる郷さえぬ嶺のしら雲」(藤原家衡)という古歌を流麗に書いている。なお、総合図書館には穂積陳重が収集した『御成敗式目』の一大コレクションが寄贈されているが、その中に松花堂昭乗筆と伝えられる『御成敗式目』の巻子本がある。(島内景二)

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