特別展示会附属図書館
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まえがき
1.贈られた図書と建物
2.震災前の図書館
   建物
   組織・運営
   図書の蒐集
3.参考文献

まえがき

 今年、東京大学は創立130周年そして東京大学総合図書館は再建80周年を迎える。総合図書館は関東大震災で崩壊するが、国内外から物心両面で暖かい援助をいただき、再建された。再建80年にあたり、それをふり返り、図書館が無事に育っていることを伝えると共に、震災前の図書館がどんな姿をしていたか、その足跡をたどってみることにする。

1. 贈られた図書と建物

 大正12年9月1日、関東地方は未曾有の大地震に見舞われた。東京帝国大学も例外ではない。図書館も建物が崩壊するが、不幸はこれだけに留まらなかった。隣接する医学部から出た火は風下に位置した図書館にも魔の手を伸ばし、倒壊した建物と散乱する図書をなめつくしてしまう。そして営々として築き挙げられた蔵書約56万冊の大半は灰燼に帰し、魔の手を逃れたのはわずか4000冊に過ぎなかった。

 災禍に対する励ましの声は時を待たず、次々と挙がる。9月3日、ジュネーブの国際連盟では第4回総会に先立ち、オーストラリア代表が、日本を襲った未曾有の災禍に対して深い悲しみの意を表することを提案すると、チリとペルシャの賛同もあって、提案は全会一致で可決された。9月17日になると言葉だけの援助から、内容のある提案がなされた。この日ペルシャの代表プリヴァトは知的協力委員会の招請を提案する。そしてこの委員会に「図書の蒐集を国際的に援助する方法」を検討させることが可決されたからである。この決定を受けて27日には知的協力委員会が開催された。国際連盟は日本の首都における「大学と図書館」(universities and libraries)に対して具体的な援助の手を差し伸べ出したのである。

 他方、日本政府は援助の対象となる図書館を複数名詞から単数名詞(東京帝国大学図書館)に読み替え、国連の一連の動きを逐一東京帝国大学に知らせていた。こうして東京帝国大学附属図書館は国を挙げて援助されるだけでなく、全世界からの寄贈を一身に受けることになったのである。

 学外の動きに対して、大学でも山田三良法学部長を委員長とする図書の復興に関する委員会(図書復興委員7名、海外派遣委員2名、同補助委員3名)を起ち上げる。そして東京の各国大使館、公使さらには各国の大学、学会、図書館に向けて図書の寄贈依頼を発送した。

 国際連盟の決議を受けて、各国では寄贈に対する動きを活発化させる。イギリスでは元首相で、時のイギリス学士院長バルフォア卿(Earl Arthur Balfour)の尽力で、同学士院は出版社からの寄贈書を取りまとめたり、「東京大学図書館寄金」を開設して、寄金の受付をすると言った活動を開始する。そしてイギリスは約7万冊もの図書を寄贈することになる。その中にはイギリス印刷史を彩る貴重書187点も含まれていた。この印刷史あるいはそれらを含めた寄贈書7万冊中の白眉がケルムスコット印刷所版『The Works of Geoffrey Chaucer』(1893年)である。

 アメリカでも国内に寄贈のための活動が起こる。そしてスミソニアン協会(Smithonian Institution)を介して約95000冊もの図書が寄贈されることになる。しかし「全体をとりまとめる組織がなかったため」、寄贈書数の多い割には寄贈活動が目立たないのが残念である。その他、イタリア、チリ、オランダ、ドイツ、ハンガリー、フィンランド、フランスなど、36ヶ国からの寄贈が相継いだ。

 国あるいはその意向を汲んだ組織から贈られた図書にはどんな傾向があったのであろうか。各国はそれぞれの国にとって基本となる図書を選んでいる。別の言葉で言えば、それぞれの国の言語で書かれた各国の基本図書である。この方針を守ることで、各国間の重複は避けられる。寄贈のための選書は世界レベルで配慮されたことが分かる。国際連盟の存在を感じないわけにいかない。もっとも英米は文化がほぼ同根のため、両国からの寄贈書は、残念ながら、重複している。それ以外の国の場合でも、かなり英語本が含まれている。それは当該主題を扱った適切な図書がない場合に英語本で代用しているように思えるからである。

 各国は、それぞれに思いを込めて、寄贈図書を選んでいるはずであり、その気持ちを代弁したのがオランダであった。オランダも、国際連盟協会からの依頼を受けると、「東京帝国大学再興図書館寄付図書蒐集委員会」を組織する。そしてオランダ人の著作とオランダで出版された日本に役立つ著作を集めるために国内に協力を求めた。こうして集められた図書に「寄贈票を貼ると共に、まとめて置けるか」と問い合わせてきたからである。選書にかける意気込みは他の国でも同じであったはずである。

 大学図書館とは大学に於ける教育と研究を支えることを目的に設立されている。教育の支援とは学生に基本的な知識を習得させるための図書を揃えることであるから、総ての分野を網羅する必要がある。そこに言語別と言う条件を加えれば、さらに充実度は高くなるはずである。各国からの寄贈本はこの条件を十分に充たしていたのではないだろうか。

 それに対して、研究用あるいは教員用の図書の場合は、教官の研究に併せたり、創設学科に関連付けて揃えることが考えられる。しかし大学の委員会は、目先の対応より、図書館に良いコレクションを備えるという考え方で、対処した。

 この方針に答えられるのが個人の蒐集した図書群(個人文庫)である。しかし個人文庫の寄贈を受けるにしても、図書館は問題を抱えていた。個人文庫を一つの塊としてまとめて置くと言う受入上の問題である。この点を突いたのがオランダであった。オランダは、オランダからの寄贈本を一カ所にまとめて置く事が可能かと、問い合わせて来たからである。それに対して、図書館長姉崎正治は、「他の国からの寄贈本も、分類順に排架するので、オランダ本だけ特別扱いはできない」と、大正13年7月24日に回答している。開始時期は不明であるが、図書館は文庫をひとまとめにして排架する方法を採用していなかった。おかげで寄贈されなかった有名な個人文庫があったと漏れ聞いている。

 受入の問題はあったものの、個人からの寄贈が相次ぐ。徳川頼倫侯の創設した南葵文庫、森家からは森鴎外の旧蔵書「鴎外文庫」、亀井伯爵からは故亀井茲明の美術書を中心とする「亀井文庫」、もと法学部教授穂積陳重の「穂積文庫」、本草書・博覧会関係書等を集めた田中芳男男爵の「田中文庫」、カントの関係書を集めた「木内文庫」などである。海外からは東京大学教授を勤めたエドワード・モースの「モース文庫」、マードック夫人(Mrs Murdoch)からの「イエズス会報告」などが挙げられる。

購入本も多域に渡っている。江戸時代小説を集めた「霞亭文庫」、漢籍・国文関係の「青州文庫」、朝鮮本の「阿川文庫」、国外では東洋言語、宗教、動物等の関係書を集めた「エリオット文庫」(Eliot)、先の図書復興委員会委員である高柳賢三法学部教授と上野道輔経済学部教授の尽力で購入された「ワッハ」(Wach)文庫、民法学者「ノイベッカー」(Neubecker)教授の文庫などがある。

 シーボルトのご家族からはフィリップ・フォン・シーボルト(Philipp von  Siebold)の遺稿を購入するかと打診してきた。あわせて息子のアレキサンダー(Alexander Siebold)の「日記」(Tage-Buch)は寄贈するとの申し出があり、こちらは受け入れている。しかしフィリップの遺稿は「学術上より、記念用の性質を有すると信ず、性質上大学よりも、帝国図書館又は長崎図書館若しくは(モリソンの東洋文庫)に属すべきか」といい、東大より、もっと適切な受け入れ先があるのではないかと回答していた。

 寄金を寄せていただいた人や国もあった。南カリフォルニアからは南加母国震災救済会が義捐金14150円の内、1万円を図書館復興の一部に充当するようにと言ってきた。在米の「ナッパ」日本人会、「アイルトン」日本人会、「プラサ」日本人会からも寄金があった。英国学士院は、前述したように、「東京大学図書館寄金」を設け、英国で寄贈する図書を購入するための資金にあてている。

 復興史はそれが順調に推移すればするほど、華やかな面が多く語られがちである。しかしその陰に隠れた面も見落とすことは出来ない。大正12年11月29日と言えば、復興の動きが具体化し、活気付いた時期である。この日、明治30年以来就任してきた和田萬吉が図書館長を辞任し、文学部教授姉崎正治に代わったからである。この交代劇が復興活動の冒頭に起こっていることからすると、復興に対する不手際というより、震災にかかわる対処の仕方が理由であったと言われている。

 国際連盟の動きに背中を押されたことは確かですが、図書の収集活動は素早くそして順調に推移したといえる。しかし建物の建設はこの動きに連動していなかった。政府も図書館建築となると動きは緩慢であった。膠着状態の中で一条の光が見え始めるのは、ジョン・D・ロックフェラーが姉崎図書館長に建築経費について尋ねてきた時に始まる。そして1924年12月30日、ロックフェラーから1通の電報が発せられた。400万円を無条件で寄付するという内容になっていた。かくして現在の総合図書館は昭和3年12月1日にその雄姿を見せることになる。総合図書館がロックフェラー図書館と呼ばれているのは彼に対するお礼を込めた愛称なのである。

注)文中の総合図書館系の図書館名の変遷

明治10年:東京大学法理文学部図書館
明治14年:東京大学図書館 法理文学部図書館
明治19年:帝国大学図書館
明治30年:東京帝国大学附属図書館
昭和24年:東京大学附属図書館
昭和38年:総合図書館(「附属図書館」は学内の図書館の総称に変更)

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