【終了しました】中学生、学会をつくる(第17回柏図書館企画展示)
~1900年の手書き学会誌「博物之友」初公開~
明治33(1900)年、東京府第一中学校(翌年、東京府立第一中学校に改称)の生徒だった14歳の市河三喜(東京帝大名誉教授・附属図書館長)が仲間たちと日本博物学会を組織し、回覧雑誌「博物之友」を手書きで発行しました。
このたび東京大学柏図書館に手書き版「博物之友」全8号が寄贈されたことを記念し、複製の一部を展示します。
開催日時・場所
期間:2020年3月17日(火)~ 2022年9月【終了しました】
※休館日を除く平日9:00~21:00(8・9・3月は17時まで)
会場:東京大学柏図書館 1階 展示スペース
展示資料公開(一部)
日本博物学会事務所
東京市下谷区練塀町(現在の東京都台東区秋葉原)の市河三喜宅を事務所とした。市河は後に日本における英語学の祖と称された。第二次世界大戦中は東京帝大附属図書館長として、総合図書館貴重書疎開で陣頭指揮を執った。
※博物之友掲載巻:第8巻
昆蟲ノ體色ニ就イテ(市河三喜)
市河は当時14歳。かりま蝶(コノハチョウ、右ページ)やPterochrozaocellata(クジャクキリギリス、左ページ下)など、動植物に擬態する昆虫について考察している。
※博物之友掲載巻:第3巻
蝶のスケッチ(村松操か)
村松(東条)操は当時16歳。後に国語学者として、日本の方言研究の基礎を築いた。早世した兄の村松茂とともに「博物之友」に多数の原稿を寄せた。「M.M.」「む・み・生」などの署名入り原稿も村松操によるものと推定され、この蝶のスケッチもその一つである。
※博物之友掲載巻:第7巻
「博物之友」投書欄
手書き版「博物之友」全8号のうち、第4・6・7号に投書欄がある。会員たちが思い思いの筆名で投稿しており、ユーモラスなやりとりが見られる。
「橋本君よ、自転車へ乗る時間でどしどし投稿したまえ」
「本雑誌に博物学以外の事を出してはいけないのですか(聞きたい生)」「無論イケナイノデス(編者)」
「本会のためには一身を犠牲に供して職務をつくしつつある会員・市河三喜君は学校にてはLittle Naturalist(小博物学者)の名ありと(聞きかじり生)」
※博物之友掲載巻:第7巻
問い合わせ先
東京大学柏図書館
kashiwar@lib.u-tokyo.ac.jp
主催:東京大学柏図書館
協力:東京都立日比谷高等学校創立百周年記念資料館