東京大学総合図書館所蔵『源氏物語』について(東京大学大学院総合文化研究科准教授 田村隆)

1. 渡邊青洲と青洲文庫

 ここに画像データベースが公開される東京大学総合図書館所蔵の『源氏物語』54冊(請求記号A00-6587、旧請求記号E23-48、登記番号B7874)は、『源氏物語大成』第7巻(中央公論社、1956年)や『源氏物語別本集成』正編15巻・続編7巻(桜楓社、1988年~)などに紹介される本で、東京大学本もしくは東大本と呼ばれる。縦20.9㎝、横17.9㎝の枡形本で、黒の表紙に雷文襷地に雨竜の模様が型押しされる。書写年代については、『源氏物語大成』は室町時代中期とするが、伊井春樹「保坂本『源氏物語』について 付 東京大学図書館蔵浮舟巻について」(『源氏物語論とその研究世界』風間書房、2002年)は、室町時代後期ないしは江戸時代初期とする。室町時代中期よりは下り、末期頃の書写か。

 せいしゅうぶんの一点。他の本には捺されることの多い「青洲文庫」の蔵書印(朱文方印・陽刻)はないが、東京大学附属図書館図書原簿との照合によって確認される。青洲文庫は甲州いちかわだいもんの素封家渡邊まこと(号は青洲。1840-1911年)が設けた文庫で、壽(1803-1875)・信・澤次郎(1870-1941)の三代にわたって蒐められたコレクションである。その規模について、渡邊信編『青洲文庫古板書目』(1905年)の「青洲文庫古板本目録自序」には「殆ど拾萬(10万巻)に垂んとす」とある。1923年の関東大震災により蔵書(当時76万冊)の大半を失った東京帝国大学図書館が、復興に際して翌1924年7月14日に青洲文庫の約3万冊を購入した。この時に併せて寄贈された品として、今も総合図書館には伊藤博文によって「青洲文庫 渡邉学兄嘱 博文」と揮毫された扁額が保管されている。碁で青洲が伊藤に三局勝ったら揮毫してもらう約束だったと伝わる。

 受入時の評価額は、カード目録や『青洲文庫古板書目』によれば当時の100円。青洲文庫の『源氏物語』としては他に、伝嵯峨本と呼ばれる慶長古活字版本(A00-5823)が挙げられるが、その評価額は620円であるから、評価にあたっては古写本よりも古板本が重視されたのかもしれない。なお、54帖のうち、蜻蛉巻にだけはなぜか「東京帝国大学図書印」の蔵書印も「B7874」の登記番号印もない。反故とみられる蔵書印大の墨書の紙片が巻頭に挟まれており、押印の間紙用であったか。

 書物を大学に移して市川の文庫の建物はいったん空になったが、戦時中は図書館の書物の疎開先として選ばれ、再びこの文庫で保管された時期もあった。その後、1985年11月に惜しまれつつ解体され、今は山梨中央銀行市川支店の一角に「青洲文庫跡」の石碑が立つ。隣の市川山禅林寺には青洲および渡邊家の墓がある。

 

青洲文庫扁額
伊藤博文揮毫「青洲文庫」扁額
青洲文庫石碑
「青洲文庫跡」碑

2. 東京大学本『源氏物語』の本文

 『源氏物語』の本文は大きく青表紙本(鎌倉時代の藤原定家校訂本の系統と見られる諸本を指し、現存する写本・版本の大半はこの系統に属する)・河内本(鎌倉時代の源光行・親行父子による校訂本の系統)・別本(いずれの系統にも属さない、「その他」の本の総称で、別本という一つの系統をなすものではない)の三系統に分類されることが多いが、東京大学本は全体としては青表紙本の性格を持つ。ただし、同時期の写本にしばしば見られるように、部分的に河内本や別本の巻もある。『源氏物語大成』によれば、

  河内本 ― 空蝉・紅葉賀・花散里・関屋・絵合・松風・初音・蛍・篝火・椎本
  別本 ―― 澪標・朝顔・藤袴・幻・匂宮

と分類されるが、伊藤鉄也『源氏物語本文の研究』(おうふう、2002年)、および中村一夫「保坂本源氏物語の本文の一性格―朝顔の別本をめぐって」(『本文研究』第1集、和泉書院、1996年)の成果をふまえ、伊井氏は別本に分類する巻を追加する(下線部)。

  河内本 ― 空蝉・紅葉賀・花散里・関屋・絵合・松風・初音・蛍・常夏・篝火・椎本
  別本 ―― 須磨・澪標・蓬生・朝顔・藤袴・梅枝若菜上柏木・幻・匂宮

反町茂雄『一古書肆の思い出』第1巻(平凡社、1986年)には青表紙本と河内本の見分け方について、紅葉賀巻を例にした池田亀鑑とのやりとりが記されている。

    たちぬるゝ人しもあらじあづまやに うたてもかゝるあまそゝぎかな

 「この歌の少し前に、ホレここに『けむむかしの人』という所がある
  でしょう。河内本では、ここは『けむむかしの人』とある。ここは極く
  わかり易い相違点です。
  ……いいですか。これは秘密、うかつに他人にしゃべっては、いけませんよ」
  一寸にらむ様な顔をして、すぐアハハハと、頬をほころばされました。

 

 東京大学本の該当箇所は以下の通りである。

          がくじうにあり
  すこし心つきなきや又君なといひけんむかしの人もかくやおかしかりけむ(24ウ)

 

 本文は『源氏物語大成』などが指摘する通り河内本で(「又君」は「文君」の誤写であろう)、それを見せ消ちにして青表紙本の本文「がくじう(顎州)にあり」で訂した跡が見られる。東大本における河内本や別本の巻々には必然的に本文訂正などの書き入れが多い。

〔 紅葉加(紅葉賀)24ウ・公開画像では28コマ目 〕

 

 東京大学本は別本の保坂本と近い関係にあることも上述の諸論考で指摘されており、おうふうから刊行された影印(伊井春樹編『保坂本源氏物語』別冊1、1997年)では、保坂本が欠いている浮舟巻を東京大学本で補っている(ただし、東京大学本の浮舟巻は青表紙本)。

 このような、巻による本文系統の混態について、本居宣長の『紫文要領』(巻上)が興味深い指摘をしている。

 

  これは河内本、これは青表紙と、全くわかれたるはいまだ見ず。其内にいさゝかづゝ
  のかはりはあれ共、まづ大抵先達の青表紙といへる本也。その中に、まゝ河内本とい
  へる方によりたる所の本もあれども、全くしかるにはあらず。
                  (『本居宣長全集』第4巻、筑摩書房、1969年)

 

 実際に、東京大学本において別本の性格を持つ巻のうち、須磨・梅枝・柏木の三帖については宮内庁書陵部本も別本の本文と指摘される。青表紙本・河内本・別本のいずれにせよ、各巻の本文系統が一つに揃ったものを純粋な本文と見る立場からすれば、東京大学本などは「不純な」混態本として退けられがちである。それゆえに『源氏物語大成』の校異にも採用されなかったのであろうが、このような混態も書写当時のありのままの姿であり、読者の手元にたしかに存在した本の姿であった。混態そのものの持つ意味を解き明かすには、同時代の写本群について画像データベース等を相互に参照するなどして、混態の様相を丁寧に比較することが必要となろう。

 さきほどの「がくじうにあり」のように、この写本には本文よりもやや薄い墨で各種の書き入れが散見される。後人による書き入れとおぼしい。冒頭の桐壺巻には特に多くの注記が見られ、若紫巻の小柴垣の垣間見「何事そやわらはへとはらだち給へるか」(7ウ)の「だ」などには声点風の濁点が付される。データベースで画像を確認されたい。

 異同について、若紫巻からもう一例挙げる。
  故姫君は十(ばかり)にて殿にをくれ給し程いみしうものは思ひしり給しそかし(8ウ)

 東京大学本は、「斗」を見せ消ちにして「二」を傍記する。他の伝本を『源氏物語大成』によって確認すると、故姫君(紫上の母)の年齢を青表紙本の大島本・横山本などのほか各種河内本も「十ばかり」とし、「十二」と限定するのは青表紙本のうち榊原家本・肖柏本・三条西家本などである。書き入れに用いた青表紙本の性格がうかがい知れる。

〔 若紫8ウ・公開画像では11コマ目 〕

 

 なお、賢木(龍眼木)巻には大きな脱文がある。「ふりすゝてけふはゆくともすゝか川やそせの浪に袖はぬれじや」(9ウ)に対する源氏の返歌は本来「すゝか河やそせの波にぬれぬれすいせまてたれかおもひをこせん」であるが、東京大学本では次の歌「行かたをなかめもやらんこの秋は相坂山をきりなへたてそ」に飛んで、この歌を返歌とする。目移りによる誤脱であろうか。「すゝか河」の歌から「行かたを」歌の前までの文章は、この箇所に貼られた紙片で補われている。ただし、筆跡は本文とは異なり、後のものである。また、帚木巻には能『卒都婆小町』の詞章の一節を記した紙片が挟み込まれている。

〔 龍眼木(賢木, 榊)「すゝか河」歌貼紙・公開画像では13コマ目 〕

 

〔 龍眼木(賢木, 榊)9ウ・公開画像では14コマ目 〕

 

 これらの紙片とは別に、筆者は不明だが花宴巻冒頭の遊紙に「前ハ河内本ニ類ス後ハ青カ」、明石巻の同じ箇所に「原本モ校合セシ本モ不明ノ本ナリ」と万年筆で記した貼紙があることも付け加えておく。「青」とあるのは無論青表紙本のことである。

3. 巻名の表記

 題簽に記された巻名には、特徴的な表記が見られる。すなわち、以下の6帖である。

  「紅葉加 七」(紅葉賀)、「龍眼木 十」(賢木、榊)、「赤石 十三」(明石)、
  「水衝石 十四」(澪標)、「床夏 二十六」(常夏)、 「蘭 三十」(藤袴)  

 このうち、「龍眼木」は『十巻本和名抄』巻5に「龍眼木(略)佐賀岐」の例があり、「赤石」は『播磨国風土記』に「赤石郡」などと用いられる表記である。また、「水衝石」は『万葉集』巻12の3162番歌に「水咫衝石」(みをつくし)の表記が見られる。尚古趣味的な巻名表記と言えるかもしれない。ここでの「蘭」(らに)は今の藤袴のことで、藤袴巻にも「らに(蘭)の花をかしきを(持)たまへりけるを」(5オ)という一節がある。

 これらの巻名表記の多くは、伝嵯峨本(佐々木孝浩氏教示)、寛永・正保頃の刊行と見られる無跋無刊記整版本(素本源氏物語)、版本『万水一露』とも共通する。これらはいずれも江戸時代の初期から前期にかけての版本で、もしこの時期に流行した表記だとすれば、筆跡も本文とは異なる東京大学本の題簽は、本文よりも後に作られた可能性が高い。元は扉題であったと思われ、今は見返しの裏側に隠れている箇所には、本文と同筆で「もみちの賀」、「さかき」、「ふしはかま」という標準的表記の巻名が見える(紅葉賀巻は見返しの糊がとれて外れ、はっきりと確認できる)。これが東京大学本の本来の巻名表記だったのであろう。

〔 紅葉加(紅葉賀)表紙・公開画像では1コマ目 〕

 

〔 紅葉加(紅葉賀)見返し裏(もみちの賀)・公開画像では2コマ目 〕

 

 ちなみに、伝嵯峨本は先述のように青洲文庫の中にも含まれるが、刷りでなく書き題簽で、いずれも標準的な表記で「紅葉賀」「賢木」「明石」「澪標」「藤はかま」と記される。「龍眼木」のような特殊な巻名表記はどのくらいの広がりがあるのか、といった問題を考える上でも、より多くの伝本について画像データベースの公開が望まれる。

 

 


参考文献(文中に挙げたものを除く)

  • 浦野都志子「青洲文庫に就いて」(『汲古』43、2003年6月)
  • 渡辺まさ子編『萩苑草舎の主人―青洲文庫と渡邊陸三』(1985年)
  • 佐藤茂ほか『渡辺青洲翁所蔵品目録』(遺愛品入札目録、1917年)
  • 中込かず編『素封家渡邉青洲の書画・遺品展図録―青洲文庫東京大学譲渡八十年記念』(2004年)
  • 守随憲治『旅はよし』(新樹社、1960年)  
  • 植松光宏『山梨・本のある風景―個人文庫と稀覯本探訪』(山梨ふるさと文庫、1989年)
  • 清水婦久子『源氏物語版本の研究』(和泉書院、2003年)
  • 佐々木孝浩『日本古典書誌学論』(笠間書院、2016年)
  • 田村隆「青表紙本の系譜」(『中古文学』94、2014年11月)【この論文にアクセスする】

 

                                        〔公開日 2019年6月3日〕


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