歴史を語るものたち(1階・地下1階)

記念室

1928年(昭和3)に図書館ができた当時、この部屋は「記念室」と名づけられていました。関東大震災からの復興を記念して設けられ、後には「貴賓室」ともよばれていたようです。文字どおり、皇族をはじめとする来客用の部屋として使われ、一般の利用者は入ることができませんでした。その後、1963年(昭和38)に大規模な改装が行われ、「自由閲覧室」と名を変えて、利用者のために開放されました。その後「洋雑誌閲覧室」と呼び名が変わりましたが、現在は「記念室」に名称をもどして閲覧室として利用されています。

鹿の首

東洋の動物の標本を英国に寄贈したお返しとして、1913年に当時の英国王ジョージ5世から東京大学に寄贈された剥製です。鹿は英王室の猟場で捕獲されたものから選ばれたとのことです。
関東大震災以前は、当時木造であった大学本部の建物に置かれていました。その建物は震災で焼失しましたが、この鹿は火災の中から運び出されたものだそうです。ただ、図書館に飾られるようになった経緯は明らかになっていません。

タゴールの肖像

1957年10月、インドのネルー首相が来日し、本学をもご訪問になりました。その際、首相を通して「Calcutta Art Society」より、この肖像画が寄贈されました。
タゴール(Tagore, Rabindranath 1861.5.7-1941.8.7)はインドの哲学者、詩人、音楽家、劇作家として幅広い活動をした人物です。1913年にはノーベル文学賞を受賞、また、インド国歌の作詞作曲をした人でもあります。

南葵文庫の額

関東大震災(1923・大正12)のため、図書館はその建物とともに、それまで蓄積してきた蔵書のほとんども失いました。その復興のために、多数の援助が国の内外から寄せられましたが、国内からの寄贈で特筆すべきものは、当時侯爵であった徳川家からの南葵文庫です。これは紀州徳川家の蔵書を基とした、和洋あわせて約10万冊におよぶもので、当主徳川頼倫(1872[明治5].6.27-1925[大正14].5.19)によって寄贈されました。この額は蔵書と共に贈られたもので、徳川慶喜(1837[天保8].9.29-1913[大正2].11.22)の筆によるものです。

ショパンの手

ワルシャワのショパン記念館に保管されている、ショパンの左手の石膏型の複製です。1981.4.1~1985.3.31の間、館長であった裏田武夫先生(教育学部名誉教授)がワルシャワを訪問されたことがきっかけとなり、1986年に東京大学に寄贈されました。壊れやすい石膏製であるために、輸送中2度破損し、3度目に無事到着したといわれています。

  • Chopin, Frederic Francois 1810-1849

総合図書館の模型

関東大震災で建物・蔵書を失った当館には各国から多数の寄付がありました。なかでも特筆すべきはジョン・ロックフェラー・ジュニア氏からのもので、当時の金額で400万円を、なんらの条件もつけないという申し出がなされました。東京大学はこの寄付へのお礼として、ロックフェラー氏へ精巧な鋳銅製の新図書館の模型を贈っています。この模型はその時贈ったものと同じ型のものです。

青洲文庫の額(地下1階 貴重図書閲覧室)

伊藤博文の筆で「青洲文庫」と記されています。青洲文庫とは、甲州の素封家であった渡邊家の壽、青洲、澤次郎が三代にわたって収集した図書で、その数10万巻といわれ、個人の蔵書としては質量ともに優れたものでした。そのうち約3万冊が関東大震災後に購入され、震災後の復興の礎の一つとなりました。この額は、その際図書館に譲られたものです。

ロゼッタストーンのレプリカ (現在ご覧いただけません)

ロゼッタストーンはよく知られているように大英博物館に所蔵されていますが、同博物館にその複製を依頼し、取り寄せたものです。1985(昭和60)に設置された当時は、正面玄関右側の壁面にあり、入館者の注目を集めていました。