近世日本の本草学の皮切りは、李時珍(1518〜1593)の『本草綱目』(1596年)が早くも1607年には輸入されていたこと、あるいは林羅山
(1583〜1657)が『多識編』(1630年)を編纂することなどに求められるが、名実ともに学術的な飛躍を遂げた契機は18世紀後半に活躍をした小
野蘭山の出現にあったと言ってよいであろう。彼の主著、『本草綱目啓蒙』(1803年)が一つの画期を為している。また、彼が育てた門弟も数多く、その学
統からは著名人が輩出している。(資料・人物の関連見取図を参照
[→]。)
小野蘭山は、京都の人。松岡玄達の門弟。晩年、幕府に招聘され、採薬事業に従事する。
本資料は、中国の古典『詩経』、「爾雅編」に現れる草木の名称を列挙し、解説した蘭山の講義録の写しである。中国の本草学を受容した日本の本草学者たちの
宿命として、草木や薬材の漢名を正確に和名に置き換える作業は必須のものであった。この同定作業無くして、日本の本草学、ひいては中国系の伝統医学の受容
はなかったのである。このたゆみない作業の蓄積の上に日本の伝統医学は築かれていたが、その一端をかいま見せるのがこの資料である。
森立之の奥書によれば、本資料は小野蘭山の講義を実際に受けた狩谷棭斎の手沢本である。この森氏はやはり本草学者で狩谷の弟子。福山藩医を務める。その記述には信憑性があるだろう。本資料は森の手を経て、渡部に移り、ついで東京大学に寄贈されている。
■小野蘭山の他の著作で、下記のものが総合図書館に所蔵されている。(抜粋)
[A00:
5997]本草綱目訳説/[T81:112]広参説/[T81:149]秘伝花鏡記聞/[T81:15]本草綱目啓蒙/[T81:208]耋筵小牘/
[T81:240]本草啓蒙名疏/[T81:64]蘭山先生十品考/[V11:2125]薬名考/[V11:848]飲膳摘要補遺/[V30:86]薬名
考/[V46:47]増補飲膳摘要