江戸時代の日本で研究された数学を和算と称しているが、その基盤を整備し、学術的にも飛躍的な成果をあげたのは関孝和であった。南葵文庫にも数十点ほど和算関連資料が収蔵されているが、最も時代をさかのぼれるのは享保年間に榊原霞州という紀州藩儒によって筆写された一連の写本群である。
本書は『関氏雑著』と名づけられているところから予想されるとおり、関孝和の著作をまとめたものである。四編ほど収録されているが、内容に一貫性はなく、単に雑然と編輯したという感は強い。(収録書は「授時発明」、「四餘算法」、「宿曜算法附」、「算脱験符」、である。)授時暦に関する解説書、継子立ての数理を述べた一編など、当時の和算の成果の一端が納められている。
本資料の他にも榊原によって筆写された資料があり、関流和算確立期の状態を知らせてくれる貴重な資料となっている。他の著作は建部賢弘のものが数多く含まれ、建部存命中に筆写されていることから、本資料もやはり建部の手元にあったものではないかと予想される。
建部賢弘は関孝和の弟子。徳川家宣・家継・吉宗と三代にわたって仕え、特に吉宗から重用された。享保日本総図作製の責任者、暦算書『暦算全書』の訓点本作成などにあずかり、享保の改革の数理科学的分野の政策を強力にサポートした人物である。(資料[35→]を参照。)
■建部賢弘の他の著作で、下記のものを総合図書館が所蔵する。
[T20:1107]『発微算法演段諺解』/[T20:123]『新編算学啓蒙諺解大成』/[T20:1521]『研幾算法』/[T20:158]『発微算法演段諺解』/[T20:173]『類約術』