知の職人たち−南葵文庫に見る江戸のモノづくり−
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個別資料解説

[4]理を作る

34 関氏雑著 (せきしざっちょ)

  • 写本 1冊
  • 編著者・年紀 欠
関氏雑著(画像)
 江戸時代の日本で研究された数学を和算と称しているが、その基盤を整備し、学術的にも飛躍的な成果をあげたのは関孝和であった。南葵文庫にも数十点ほど和算関連資料が収蔵されているが、最も時代をさかのぼれるのは享保年間に榊原霞州という紀州藩儒によって筆写された一連の写本群である。

 本書は『関氏雑著』と名づけられているところから予想されるとおり、関孝和の著作をまとめたものである。四編ほど収録されているが、内容に一貫性はなく、単に雑然と編輯したという感は強い。(収録書は「授時発明」、「四餘算法」、「宿曜算法附」、「算脱験符」、である。)授時暦に関する解説書、継子立ての数理を述べた一編など、当時の和算の成果の一端が納められている。

 本資料の他にも榊原によって筆写された資料があり、関流和算確立期の状態を知らせてくれる貴重な資料となっている。他の著作は建部賢弘のものが数多く含まれ、建部存命中に筆写されていることから、本資料もやはり建部の手元にあったものではないかと予想される。

 建部賢弘は関孝和の弟子。徳川家宣・家継・吉宗と三代にわたって仕え、特に吉宗から重用された。享保日本総図作製の責任者、暦算書『暦算全書』の訓点本作成などにあずかり、享保の改革の数理科学的分野の政策を強力にサポートした人物である。(資料[35→]を参照。)

建部賢弘の他の著作で、下記のものを総合図書館が所蔵する。

[T20:1107]『発微算法演段諺解』/[T20:123]『新編算学啓蒙諺解大成』/[T20:1521]『研幾算法』/[T20:158]『発微算法演段諺解』/[T20:173]『類約術』
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35 雑技 (ざっき)

  • 写本 1冊
  • 編著者・年紀 欠
雑技(画像)
 本資料も榊原霞州の筆写になる和算書である。『雑技』という名称のみが記されているが、内容は『大成算経』巻2に他ならない。加減乗除といった初等算術の様々な計算法を紹介した巻である。ここで掲出した部分は、手指の関節を用いて計算をする方法「一掌金」である。特にこの計算に利便性があるというわけではないが、このような雑法まで本書では採り入れられている。

 『大成算経』は、関孝和・建部賢明(1661〜1716)・建部賢弘の三人が編集をした算書で、全20巻。(1711年頃の成立で、最終的な完成は建部賢明によっている。)関孝和の和算における業績のほとんどが網羅されているといってよい算書である。南葵文庫にはこの榊原が筆写した『大成算経』の各巻がほぼ完全な形で納められ現存している。筆写された年代も建部賢弘の存命中と考えられ、関流の和算書としては非常に早いものである。

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36 建部先生綴術真本 (たけべせんせいてつじゅつしんほん)

  • 写本 1冊
  • 建部賢弘 編
  • 享保7年(1722)序
建部先生綴術真本(画像)
 本資料も筆跡から判断して、榊原霞州の筆写になるものと思われる。建部賢弘の自序によれば1722年にまとめられた算書である。本来の「綴術」とは、古代中国の数学者祖冲之(429〜500)が編み出した算法であるが、現在には伝わっていない。建部のこの算書は名称を古代の算法に借りているが、全く独立して編み出されたものである。帰納的発想で数学的議論を進め、円周率の計算や無限級数展開に相当する算法を本書で述べている。
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37 小学九数名義諺解 (しょうがくきゅうすうめいぎげんかい)

  • 写本 1冊
  • 沼田敬忠 編
  • 享保4年(1719)自序
小学九数名義諺解(画像)
 古代中国において成立した九つの算術(九数)の名義について、その実例を挙げながら解説したのが本書である。今でもわれわれが使っている方程式という語の「方程」などは、この九数の一つとして登場する。

編者の沼田は新谷藩士。それ以上の経歴については分からない。沼田本人について、本書の随所に述べられている断片的な事柄を整理すると次のようなことが分かる。まず彼は、和算を関孝和の門弟である荒木村英(生没年不詳)に学んでいる。また、これとは別に朱子学と阿蘭陀流の町見術(測量術)を儒者の三宅尚斎に学んでいる。三宅はかなり正確にこの測量術を理解している。(本書の著者である沼田は本書とは別に、三宅の測量術の知識を記録しているが、その資料『阿蘭陀町見』は長野市立真田宝物館に現存する。)本資料によって、関孝和没後の和算界の状況の一端が垣間見られることになった意義は大きい。

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38 勘者御伽雙紙* (かんじゃおとぎぞうし)

  • 刊本 3冊
  • 中根彦循 編
  • 寛保3年(1743)刊
勘者御伽雙紙(画像)
 京都の和算家、中根彦循の編になる和算書、全3巻。和算書とはいいながらも通俗的かつ遊戯的な問題を挿絵とともに紹介している。趣味としての和算の問題が展開されているといってよいだろう。

 著者の中根彦循は、京都銀座役人で暦算家でもあった中根元圭の息子。京都で活動する。

 なお、ここで紹介する『勘者御伽雙紙』は幕府天文方、高橋景保の旧蔵書である。(彼の蔵書印である「求己文庫」が各巻の冒頭に捺されている。)

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39 比例尺解義* (ひれいじゃくかいぎ)

  • 写本 1冊
  • 山路之徽 著
  • 年紀 欠
比例尺解義(画像)
 山路之徽著。著者の山路はその父、主住とともに関流の和算家であり、幕府天文方において重要な役割を果たしていた。特に西洋の天文学・数学を直接オランダ人から学ぶよう吉宗から命ぜられていたらしいことは、特筆に値する。そのことを示す一つの証拠がこの『比例尺解義』という写本であろう。これはヨーロッパで発明された計算尺の一種で、コンパス状に2本の物差しが組み合わされている。比例する線分の間で加減乗除はもとより、目盛りを特別に設定することで三角関数の値まで導き出せるというものである。本資料を見れば分かるとおり、その文面の随所にアラビア数字とアルファベットが記されている。山路が西洋の数学と直接的に接したことが見て取れる。

 本資料は個人蔵書。蔵書印より、蘭学者・宇田川榕庵の旧蔵書であることが分かる。

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40 算学必究* (さんがくひっきゅう)

  • 刊本 1冊
  • 奥村充 編
  • 天保12年(1841)序刊
算学必究(画像)
 和算家奥村増貤の著述を息子の充がまとめた算書

  本資料の趣旨は、算学は自然の理を体現する万国共通のもので、経世済民の重要な手段であることを強調し、これが諸芸に先んじて学ばれるべきものであることを訴えている。算学がともすれば商人の技として蔑視されかねない風潮を牽制しつつ、そろばんとは異なった西洋伝来の計算道具である「籌算」(ネイピア・ボーン)の用法を紹介している。(籌算を用いればそろばんは使わずともよく、貴人でも簡単に扱えるというのが奥村の主張である。)

 奥村は増上寺御霊屋料の地方調役。関流の和算を修めるが、多彩な人脈の中で活動をしていた人物である。球面三角法を本多利明に、測量術を伊能忠敬に学び、司馬江漢(1747〜1818)とも交友関係があった。さらに若い頃には蘭学者吉田長叔(1782〜1827)の塾に出入りし、そこで何と平田篤胤と出会っている。(高野長英も江戸では吉田に師事している。)関流の和算家内田五観、そして高野長英とも昵懇の仲である。これだけの人物でありながら、本書刊行の後の奥村の姿はようとして分からない。彼の生没年は不明のままである。

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