『物類品隲』は、平賀源内編輯、田村藍水監修、校としては、田村善之・中川鱗・青山茂恂の名が挙げられている。全6巻6冊から成る。『物類品隲』には赤井館蔵板と松籟館蔵板があるが、本館所蔵本は赤井館蔵板で、刊行は宝暦13年である。
平賀源内の発案によって、宝暦7年(1757)から薬品会(物産展)が開かれるようになり、宝暦12年(1762)までの5回にわたる出品数は2000種余に達した。それから抜粋した360種に解説を加えた物産解説書が本書である。本資料は、巻1から4までが本文で、巻5は産物図会、巻6には附録として「人参培養ノ法」と「甘蔗培養并ニ製造ノ法」が所収されている。
「甘蔗培養并ニ製造ノ法」には、砂糖の国内生産の黎明期の模様が記されている。江戸時代の中期まで、我が国は砂糖を輸入に頼っており、8代将軍吉宗による殖産化政策によって、砂糖の原料であるサトウキビの栽培が試みられ、さらに砂糖を製造する試みもなされていた。宝暦年間にやっと砂糖生産が緒についたと考えられる状況であった。この時期には、源内の師である田村藍水が『甘蔗造製伝』(1761年以降)を、後藤梨春が『甘蔗記』(1764年題言)を著しており、本草学者による砂糖生産の研究が本格化した。この「甘蔗培養并ニ製造ノ法」には、『糖霜譜』・『南方草木状』・『本草綱目』・『農政全書』・『天工開物』・『閩書南山志』などの中国書からの引用箇所が多く、国内の生産状況として砂糖生産の実施の試みが早かった尾張については記述されているが、同じ宝暦年間に砂糖生産が行われていた長府については記述がない。
サトウキビからジュースを搾りとるために、茎をローラーの間に挿し込んでいる男性の横には、「鳩渓山人自画」と記されているので、この男性は「鳩渓」の号を持つ平賀源内の自画像と考えられ、作画は、讃岐の三木文柳によると考えられる。またこの図は、『天工開物』に描かれている構図と酷似しているが、子細なタッチであるので、国内で作成されたローラー式の圧搾機のスケッチを基にしているのかもしれない。
■平賀源内の他の著作で、下記のものを総合図書館が所蔵する。
[A90:1962]『風来六部集』/[A90:874]『根奈志草』/[E22:220]『風来六々部集』/[E24:100]『風来六々部集、前編及後編』/[E24:1334]『風流志道軒伝』/[E24:1360]『根無草後編』/[E24:25]『風流志道軒伝』/[E24:27]『ねなし草及後編』/[E24:476]『(仏法奇瑞)菩提樹之弁』/[E24:48]『泉親衡物語』/[E24:60]『風流志道軒伝』/[E26:1183]『風来六々部集』/[E28:476]『神霊矢口渡』/[E28:85]『神霊矢口渡』/[E46:40]『笑府』/[H20:2365]『譏草』/[H20:2712]『闡幽編』/[XB30:52]『火浣布略説』/[XB30:55]『火浣布略説』