大正13年まで、東京の旧麻布区内に壮麗なる図書館が存在していた。南葵文庫――それがこの図書館の名称である。しかし南葵文庫は忽然と、歴史の上から姿を消す。本特別展ではこの南葵文庫旧蔵書を中心とした資料を紹介していきたい。
図書館の資料が展示されるという場面に向かうと、多少の違和感を覚える。それは、通常の利用者ならば誰もが手にとって閲覧し、場合によっては借り出すこと
もできる書籍・資料が、ある期間ケースに囲われ、陳列されていることに対する違和感である。資料そのものはケースに入っていようと無かろうと何も変わらな
い。しかし展示ケースに囲い込まれ、凝視される存在としての書籍を意識することで、書籍が本来持っている記載情報の伝達という役割以外にも意味があること
を我々は知る。一点一点の書籍を閲覧するだけでは明らかになり得ない、それぞれの書籍資料がもつ歴史や背景を、複数の書籍を併置することで読み解く作業、
それが図書館資料を展示することで具現する。例えて言うならば、図書館の書籍を閲覧することは一つ一つの星を見るに等しく、展示として資料群を通覧するこ
とは星座を眺めることである。満天の星空から星座を描いてみせる作業、それが図書館資料の展示ということになろう。
とはいえ、満天の星空
に描く星座が人間の恣意の産物であるのと同様、展示資料を選別してグループ化し、それらの間にストーリーを描く作業には必然性があるわけではない。普段の
利用ではほとんど意識することはないが、図書館が所蔵するに至った書籍・資料は、様々な経緯を持ってそこにたどり着いたものである。このことをあらためて
意識しつつ、偶然性が演出した資料の集積から物語を見いだし、展示を構成するのが展示企画者の任務である。それでは、どのような物語をこの展示では描こう
とするのか。
東京大学総合図書館に収蔵されている古典籍の中でも、群を抜いて最多のコレクションは南葵文庫旧蔵本である。この南葵文庫に
ついては後述するとして、その3万点以上にも及ぶ総タイトル数(古典籍以外も含む)は、一機関から寄贈されたものとしては東京大学の中でも随一である。い
わば一つの図書館に巨大な図書館がそのまま寄贈されてしまったと言ってよい。それほどの規模を持つ書籍資料群が南葵文庫旧蔵書なのである。
本特別展では、この南葵文庫旧蔵書にスポットを当て、その中でもこれまでの展示ではあまり取り上げられなかった分野である近世日本の科学技術に関する資料
を紹介する。題して、「知の職人たち 〜南葵文庫に見る江戸のモノづくり〜」。「モノづくり」から見た江戸時代の科学技術の様相を紹介すべく、それらに携
わった人々が様々な背景を負いながらも、知も技も同等に紡ぎ出していったことに敬意を表し、「知の職人たち」とここでは呼んでいる。
以下、南葵文庫について簡単に紹介し、本特別展の趣旨を順次述べていくこととする。