知の職人たち−南葵文庫に見る江戸のモノづくり−
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展示の趣旨

南葵文庫とは

 南葵文庫の創設者は、紀州徳川家の当主であった徳川頼倫(侯爵、1872〜1925)である。貴族院議員、史蹟名勝天然紀念物保存協会会長や日本図書館協会総裁などを歴任するかたわら、戦前日本の文化行政を華族の一員として積極的に推進した人物として知られる。彼が文庫創設を決意した動機は、外遊中に見聞したヨーロッパの貴族の文化活動に刺激を受けたことにあった。帰国後、私財を投じて家蔵本を中心として文庫創設にあたったのが、明治29年(1896)のことであった。

 明治35年には麻布区飯倉町(現・港区内)の邸宅内に書庫などの付帯施設の建設が終了し、「南葵文庫」と命名された。紀州の「南紀」と、徳川家の家紋である「葵」をかけた命名である。この年から南葵文庫は本格的に活動を開始するが、当初は旧紀州藩士の子弟・関係者にのみ開放された。これ以後、収蔵書の増加とともに文庫の規模も拡張を続け、明治41年には新館が完成し、あらためて図書館が公開された。これ以後、南葵文庫では通常の閲覧業務の他に、学術講演会などの文化事業も積極的に推進していく。また、各界からの寄贈図書や購入資料には学術的に貴重なものが数多く含まれており、南葵文庫の活動が資料の保存という側面でも大きな役割を果たしていた。

 ところが、大正12年9月1日に発生した関東大震災は、南葵文庫の運命を変える。折しも、この震災によって東京帝国大学附属図書館が全焼し、約50数万冊の蔵書のほとんどが灰燼に帰してしまった。この事態を憂いた徳川頼倫は震災の一月後、南葵文庫が所有するほとんどの資料を東京帝国大学附属図書館に寄贈することを発表した。以後、大正13年7月に譲渡手続きが終了した時点で組織としての南葵文庫は消滅し、その資料は東京帝国大学附属図書館の所有となったのである。

 南葵文庫旧蔵書が東京大学に収蔵されることとなった経緯はこのようなものであるが、それだけではない歴史的関係があったことも次に見ておきたい。

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