「1893年シカゴ博覧会と日本」

      講師:能登路雅子 東京大学大学院総合文化研究科教授
      日時:平成15年11月12日(水)16時〜17時30分

     始めに、「万国博覧会は平和時の国家の戦争」であり、文化交流の場でもあるが、参加各国が自
    国をアピールする平和的戦争の場となり、次に最新技術を披露する場、新技術と親しむ場となり、
    「脅威と刺激」が万博のテーマとなり、最終的には遊園地、公園、サーカス等の非日常が発展し
    たものが万国博覧会であると話された。

     1893年のシカゴ博覧会については次のような話があった。
    • コロンブス大陸発見400周年を記念して開催され、来場者は3000万人弱であった。
    • 開催地をニューヨーク、ワシントンと争ったが、(1)経済力 (2)東部と西部を繋ぐ中西部の要
      の位置 (3)大火、大風が多く、大規模破壊があると近代化の再生がしやすいなどの点から開催
      都市として選ばれた。
    • 建築物はシカゴ派の花形建築家ダニエル・バーナム、会場の敷地計画は造園家フレデリック・
      ロウ・オルムステッドが中心になり、「ホワイト・シティ」などに見られる擬似ヨーロッパをス
      ケールアップした会場を造りあげた。このコンビの評判は良く、その後の都市改造計画に反映
      された。
    • シカゴ博覧会の目標は「ヨーロッパを超える」であった。ヨーロッパと全く同じものをより
      大スケールで実現する事で、ヨーロッパを超えるというナショナリズムが示されている。工芸
      館のキャッチコピーは「サンピエトロ寺院の3倍」「コロセウムの4倍」、「屋根のある建物では
      当時最大」で「中の展示物も大きくヨーロッパに勝っている」とか、フェリスの観覧車は「2160
      人乗りでエッファル塔を超える」ものと表現された。

     次にシカゴ博覧会における日本の立場について説明があり、当時日本は不平等条約の改正をし
    ている最中で、「文明国」「半開国」「野蛮国」に分けられていた当時の世界で日本が半開国の区域
    に入れられることを恐れたため、鳳凰殿に代表される「伝統美と近代技術力」をアピールしたこ
    と、また日米の利害は対欧という点で一致し、異常と思えるほどの日米の蜜月状態であったこと
    などが話された。

     最後に、現代のディズニーワールドとの関わりに話が移り、ディズニーワールドでは群集管理・
    第3文明への見世物・新技術の披露等の点について、シカゴ博覧会のコニーアイランドを基にし
    ていること、1964年開催のニュ―ヨーク博覧会では、ディズニーが人類進化の歴史である「フォ
    ードと自動車」「GMと劇場」また「リンカーンのロボット人形」「ペプシとスモールワールド」
    の4つのパビリオンを出展したこと、これらは後に東京ディズニーランドのアトラクションとし
    て取り入られたことなどが紹介された。



    • 能登路雅子 「1893年シカゴ博覧会と日本」
    • 藤森照信 「博覧会と国際建築交流−大工 山添喜三郎とフランク・ロイド・ライトの場合」
    • 吉見俊哉 「近代日本と万博幻想:植民地主義から開発主義へ」
    • 今橋映子 「使命と旅愁のはざまに―1900年パリ万博と 日本人留学生たち」
    • 木下直之 「湯島聖堂博覧会と内国勧業博覧会」


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