bar02 資料解説

前へ次へ9.磐梯山噴火(1888年)

 磐梯山は806年(大同元年)に噴火した古記録があるが、その後江戸時代には噴煙や鳴動の記録はあるものの、1888(明治21)年7月15日の噴火が有史以来の大規模なものとされている。この噴火の水蒸気爆発が引き起こした山体崩壊によって5か村11集落が崩壊土砂に埋まり、477名の犠牲者が出た。また、磐梯山東麓を流れる長瀬川へ流入した崩壊土砂は土石流となって周辺の田畑の形状を一変させた。

 この噴火は明治国家はじまって以来最初の大規模な自然災害であったため、近代国家のメディアに相応しい体制をとろうとしていた新聞社も災害地へ記者を派遣、現地取材の記事が全国ニュースとなった。新聞社は紙上で義捐金募集事業を行い、全国からさまざまな人々が応じる初めてのケースとなった。さらには、帝国大学理科大学の教授や学生などが災害現地で調査を行い、多数の図版を載せた英文の論文を発表、日本の自然災害に関する日本人学者による研究が海外において認知されるきっかけとなった。しかし、なお、巷間には江戸時代以来の災害メディアである錦絵や読売が流布し、歌舞伎の演目に取り入れられるという時代でもあった。

資料9-1資料9-2資料9-3資料9-4
画像を拡大する画像を拡大する画像を拡大する釈文を見る画像を拡大する

※画像サムネイルをクリックすると、下記に資料の解説が表示されます。

画像を拡大するをクリックすると、別ウィンドウで解像度の高い画像が表示されます。
画像は自動サイズ調整機能により、ウィンドウの大きさに縮小表示されています。
画像を最大化するには以下の方法をお試しください。

Internet Explorer6の方:画像上にマウスを持っていくと、画像右下にが表示されますので、それをクリックしてください。
Internet Explorer7・FireFox・Netscapeの方:画像上にマウスを持っていくとになりますので、そのままクリックしてください。

[参考文献]

  • 北原糸子『磐梯山噴火 災異から災害の科学へ』吉川弘文館 1998年 (ニューヒストリー近代日本 3)
  • 『1888磐梯山噴火報告書』中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会 2005年
(北原糸子)

前へ次へこのページのトップへ