bar02 資料解説

前へ次へ10.濃尾地震(1891年)

 濃尾地震は1891(明治24)年10月28日、岐阜県北部で発生したマグニチュード8と推定される内陸最大級の地震で、岐阜県、愛知県を中心に死者7,000人以上、倒壊家屋22万戸以上に達する被害をもたらした。被害の大きさに松方正義総理大臣がいち早く被害地に入るなど、明治政府は異例の対応をした。近代化途上のわが国の鉄道、煉瓦造りの駅舎、紡績工場などが倒壊、また、木曽三川の土手の損壊でこの地域一帯の穀倉が洪水によって脅かされる危険が出た。このため、勅令で災害土木費500万円が投入されるなど、多額の災害復旧措置が講じられた。

 地震学者や地質学者など帝国大学理科大学の教師や学生が現地に派遣され、調査を行い、地表に現れた断層(根尾谷断層)などを写真に収めた。東京、横浜、名古屋などの民間の写真師も多く被害地に入り、新聞広告などを通じて災害写真を販売した。明治政府はこの地震をきっかけに地震に対する日本人学者による常設の調査研究機関(地震予防調査会)を設けた。また、日本赤十字や大学、あるいは民間の医師・看護婦も医療支援に現地に赴いた。新聞社は現地派遣記者の記事や写真にもとづく石版画などを掲載して、地震の破壊力を報道し、また、義捐金の募集なども率先して行った。

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[参考文献]

  • 『1891濃尾地震報告書』中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会 2006年
  • 北原糸子編『日本災害史』吉川弘文館 2006年
 (北原糸子)

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