
1.コレクションにみる石本巳四雄の関心
石本文庫の大部分は直接災害に関するかわら版や錦絵で占められるが、最初に目にしていただくこのケースでは、江戸時代の災害かわら版の初期のもの、富士山を題材とした名所案内、ノストラダムスならぬ世界滅亡の予言を描く錦絵など、直接災害に関連しないものなどを選び、コレクターとしての石本巳四雄の関心の広さを感じ取っていただくことにしたい。
わたしたちはこれらの彩り豊かな資料を目にして、災害を世に伝え、記録に残そうとする当時の知識人の真摯な姿勢、あるいは、当時の人々の自然現象に関するおおらかな感覚も感じ取ることができるのではないだろうか。また、同時に災害を分析する学者でありながら、一般の人々が持っていた災害感覚に近づこうとするコレクターとしての石本巳四雄の暖かい眼差しも感じることができる。
以下、傾向と時代を異にする3点を展示する。













※画像サムネイルをクリックすると、下記に資料の解説が表示されます。
をクリックすると、別ウィンドウで解像度の高い画像が表示されます。
画像は自動サイズ調整機能により、ウィンドウの大きさに縮小表示されています。
画像を最大化するには以下の方法をお試しください。
Internet Explorer6の方:画像上にマウスを持っていくと、画像右下に
が表示されますので、それをクリックしてください。
Internet Explorer7・FireFox・Netscapeの方:画像上にマウスを持っていくと
になりますので、そのままクリックしてください。
1-1 天明三年浅間山噴火(仮)
41.0×54.0cm (I-08-008)
浅間山天明噴火(1783年)は旧暦7月に噴火のクライマックスを迎える。この噴火によって浅間山麓南側すなわち軽井沢、小諸方面に激しい降灰被害がもたらされ、北麓では火砕流が発生して鎌原村一村全体が呑み込まれ、村人500人が犠牲となった。吾妻川へ流れ込んだ火砕流は熱泥流となって利根川の合流点まで約1時間で流下し、田畑や家を押し流し、多数の死者を出した。さらには利根川へ押し流れた泥流に運ばれた死体が隅田川河口まで流れ着いた。利根川はこの泥流の堆積によって3年後天明6年(1786)には流域が大洪水にさらされた。浅間山天明噴火は、冷夏による凶作の被害を一層深刻化させ、世に天明の飢饉と呼ばれる社会的危機を促進する要因となった。
この噴火はそうした社会的状況下にあったためか、この頃より、災害などの社会的事件がかわら版で報じられるようになった。その意味で、この一枚は災害史の上では象徴的な意味を持つものである。この資料は「聞書」と明記されているが、噴火の被害に関する情報は信頼できる内容である。また、降灰範囲についても広く情報を集めていて、実際に被害を見た人物というよりは、飛脚問屋などの情報通によるものと考えることもできるだろう。
1-2 庚申年富士山参詣群集之図
一畴斎芳藤画、横山町三丁目 北岡屋
37.0×25.5cm (I-10-002)
富士講の60年に一度の縁年にあたる万延元年(1860)庚申の年の富士登山の様子を描く錦絵。
火山は周囲から孤立して高く聳える形から古くから人々が崇める山として存在したが、霊峰の誉れ高い富士山はそのうちでも信仰の歴史は古い。噴火鎮めの富士本宮には中世以来、後醍醐天皇や足利尊氏などが寄進を行っている。しかし、富士信仰が大衆化するのは、江戸時代
角(行(、身録( などの行者が理想の世を求めて富士山中で断食の末自ら命を絶って以来のことである。
特に庚申年に登山をすれば33回登ったのとおなじご利益が得られるとされ、幕末万延元年には、この錦絵にみるように、講紋と呼ばれる旗印を掲げ、日本橋、京橋、魚かしなど地域的まとまりを示す旗の下に江戸の講中が盛んに吉田口から富士山頂を目指した。
石本コレクションの名山案内図59点のうち、33点が富士山で占められるが、幕末に盛んとなる吉田口の登山道の経路、あるいは頂上の火口ご神体の木花開耶姫(命( を描くもの、富士講の定宿の引札など、多様なものが収められている。富士山関係以外のものも浅間山4点、立山2点、日光男体山、桜島など火山を中心としたもので占められている。コレクターの関心が富士講にあったとは思われないので、火山に関する一般の感覚とはどのようなものであったのかを考える材料として収集したと推定される。
1-3 明治十四年十一月十五日ヨリ世界転覆噺
大判錦絵二枚続 明治十四年十月三日 画工編輯兼
出板人 弓町 松井栄吉、五銭
70.0×48.0cm (I-03-010)
400年前のイタリアの預言者は、400年後の明治14年(1881年)11月15日地球は15日間次々と天地がつぶれるような火山爆発、津波洪水、大地震などが続発し、遂にすべてのものは火山噴火のために溶けてしまうと予言した。イギリス人リンコーンシャーなる人物はこの予言が的中したら、気球に乗って地球を離れれば救われると提言する。
この種の世界転覆の予言として著名なのは400年後の世の終末を予言した詩人にして、天文学者、さらには医学、博物学を修めたというノストラダムス(1503~1566年)であろう。その『予言集』によれば、その四行詩に凝縮された表現からはあらゆる世の明暗が暗示的に語られ、何世紀にもわたってその予言に関する解釈が行われてきた。 ここでは、その予言のうちの天変地変の部分を述べているのであろう。原典に地震の元凶が鯰とされているわけではない。気球に乗って逃げるのは人間、世界転覆で犠牲となっているのが鯰である点もなかなか風刺が効いている。あるいは安政江戸地震の鯰絵の記憶が強烈に人々のなかで生きていたことを語るものかもしれない。
[参考文献]
- 『1783天明浅間山噴火』中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会 2006年
- 坂本要・岸本昌良・高達奈緒美編『富士信仰と富士講』岩田書店 2004年 (平野栄次著作集 1)
- P・ブランダムール校訂、高田勇・伊藤進編訳『ノストラダムス予言集』岩波書店 1999年
- 樺山紘一・高田勇・村上陽一郎編『ノストラダムスとルネサンス』岩波書店 2000年
(北原糸子)


