よみがえる幕末明治の人々(常設展:2005年7月〜10月)

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木戸 孝允(きど たかよし)1833-1877

 幕末・明治時代の政治家。維新の三傑の一人。長州藩(山口県)出身の志士で桂小五郎と称し,同じ吉田松陰の門人であった高杉晋作らと藩の指導権をにぎった。慶応2年(1866)には薩長同盟を成立させて,倒幕を実現。明治新政府が成立すると,五箇条の御誓文を起草し,版籍奉還や廃藩置県の計画を立案した。岩倉使節団に参加した後,西南戦争の行くえを心配しながら病死した。

古刀銘尽大前 <展示資料>
『古刀銘尽大前』(W20:687)
蔵書印:「松菊舎木戸氏蔵書印」(下の角印)



水野 忠邦(みずの ただくに)1794-1851

 肥前唐津(今の佐賀県唐津市)藩,遠江浜松(静岡県浜松市)藩主。幕府老中。家斉死後の天保12年(1841)から,改革派を集めて享保,寛政の改革に倣った幕政改革『天保の改革』を断行したが,改革は2年で失敗し,忠邦は老中職を罷免された。その後,弘化元年(1844)に一旦は老中首座に返り咲いたが,弘化2年(1845)病により辞職した。

後水尾院年中行事 <展示資料>
『後水尾院年中行事』(G26:816)
蔵書印:「引馬文庫」,「公事
 勾玉の形を図書の分類に用いた。
欽定明鑑 呉慈鶴等纂修『欽定明鑑』(G30:491)
蔵書印:「文政辛巳濱松三畏斎文庫
 一番下の大きい角印,忠邦28歳



小栗 忠清(おぐり ただきよ)

 小栗家は代々徳川家に仕え,上野,下野,上総,下総など2700石(2500石とも言われる)の禄高を持つ旗本だった。忠清は小栗家の中でも最も繁栄した「筒針小栗家」の一族である。忠清の養子が忠高,その子どもが忠順。

北国志 <展示資料>
『北国志』(南葵文庫 J70:120)
蔵書印:「小栗家蔵書」(長方形印)



成島 柳北(なるしま りゅうほく)1837 -1884

 幕府奥儒者の成島家に生まれ,本名,惟弘(これひろ) 明治5年(1872)から6年(1873)にかけて東本願寺法主現如上人の海外視察に随行し,ヨーロッパ,アメリカを回り,このときの記録が後に「航海日乗」として発表され,評判を呼ぶ。 明治7年(1874)朝野新聞の主幹に迎えられ,草創期の新聞界で活躍した。 主な著作に「柳橋新誌」「柳北奇文」「柳北誌鈔」など。

酒史新編 <展示資料>
佩弦齋主人著『酒史新編』(G26:827)
蔵書印:「松菊荘文庫」(縦長印)



契 沖(けいちゅう)1640-1701

 江戸時代中期の真言宗の僧,古典学者・歌人。俗姓下川氏,字は空心。契沖は法号。1690年(元禄3)に主著『万葉代匠記』を完成。従来の中世的な儒教思想による解釈を排して,和漢の書の出典を豊富にあげ,精密な解釈を行い,その文献学的方法は,一時代を画した。また歴史的仮名遣いを制定し,〈もののあわれ〉に注目し,近世国学の基礎を築いた。著書に『古今余材抄』などの注釈書,『和字正濫通妨抄』などの国学研究書,歌集『漫吟集』や随筆など多数。

官職知要 <展示資料>
里見氏安直編『官職知要』(南葵文庫 A00:4537【貴重書】)
蔵書印:「契沖」(二文字角印)左頁に頁右下にあり



大田 南畝 (おおた なんぽ)1749-1823

 江戸後期の文人。名は覃,字は子耜,通称は直次郎,晩年七左衛門,号は南畝,狂号は四方赤良・蜀山人などほかに筆名多数。紀行文・日記・随筆(『調布目記』『一話一言』など)多数の著述を残し,各方面の文人・芸能人と交わり,江戸民衆文化のリーダー格として重きをなした。

天地万物進化論(巻頭) 天地万物進化論(巻末) <展示資料>
『天地万物進化論』(A00:4069【貴重書】)
蔵書印:「南畝文庫」(巻頭角印),「大田氏蔵書」(巻末一行印)

<参考情報>
国立国会図書館の電子展示会蔵書印の世界



井上 毅(いのうえ こわし)1844-1895

 明治時代の日本の官僚、政治家。内閣法制局長官、文部大臣などを歴任。肥後国に生まれる。国学等に通じ、大日本帝国憲法や皇室典範、教育勅語、軍人勅諭などの起草に参加。90年には枢密顧問官となり、93年発足の第二次伊藤博文内閣においては文相を務める。

源語秘決 <展示資料>
『源語秘決』(南葵文庫 A00:4258【貴重書】)
蔵書印:「井上毅蔵」(右下の角印)


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