幕末の遣欧使節団

1.開市開港延期交渉使節団の一行


      
 1858年の安政5ヶ国条約により、幕府は1863年より江戸と大坂の開市、兵庫と新潟の開港を約束した。しかし翌59年の貿易開始以降、国内では攘夷運動が急速にたかまり、苦慮する幕府は、文久元(1861)年12月、開市開港の5年間の延長を求めてヨーロッパに外国奉行竹内下野守を正使とする使節団を派遣する。

 使節は条約締結各国と文久2(1862)年交渉をおこない、所期の目的を達するが、その間、パリ(写真家ナダール)とぺテルブルグで記念撮影をおこなっている。またパリで使節団の一部は半身像の写真を撮影した。ここに示すものがその際の写真である。

 ここから私達は、幕末日本人の風貌をうかがうことが出来るとともに、写真家の美意識のありかたについても色々なヒントを得ることが可能である。配列は当時の身分秩序に従っている。

*** 写真をクリックすると、大きく表示します。***

(1)同一人物につき3点あるもの(15点)
   (左・ペテルブルグ、中央・パリのナダール撮影、右・半身像)

(2)同一人物につき2点あるもの(32点)
  (左・ペテルブルグ、右・パリのナダール撮影)

(3)同一人物につき2点あるもの(2点)
  (左・ペテルブルグ、右・半身像)

(4)同一人物につき2点あるもの(6点)
  (左・パリのナダール撮影、右・半身像)

(5)同一人物につき1点のみのもの(2点)
  (ペテルブルグ)

(6)同一人物につき1点のみのもの(10点)
  (パリのナダール撮影)

(7)集団写真

 < 以上の出典(いずれも史料編さん所維新史料引継本)>

 ●文久2年遣蘭開市開港延期談判使節一行写真(I−リ−1922)
   ※ヘーグ国立図書館所蔵とあるも、パリのナダールの撮影写真複製アルバム

   1-2, 1-5, 1-8, 1-11, 1-14, 1-17, 1-19, 1-21, 1-23, 1-25, 1-27, 1-29, 1-31,
   1-33,1-35,1-37,1-39, 1-41, 1-43, 1-45, 1-47, 1-50, 1-52, 1-54, 1-58 〜70

 ●文久2年遣欧使節竹内下野守一行写真(~−リ−92)
   ※巻末の覚書に「第一号ヨリ第二十四号迄ハ文久2年壬戍日本使節一行
    二十四人直影(1862)明治十八年十月海軍中将ポシエトヨリ花房義質
    ニ贈ラレシモノナリ」とあり。子爵花房太郎家本よりの複製アルバム。
    現在オリジナルアルバムは外務省外交史料館の所蔵となっている。

   1-1, 1-4, 1-7, 1-10, 1-13, 1-16, 1-18, 1-20, 1-22, 1-24, 1-26, 1-28, 1-30,
   1-32,1-34,1-36,1-38, 1-40, 1-42, 1-44, 1-46, 1-48, 1-56, 1-57, 1-71

 ●遣欧使節一行其他写真(I−リ−1890)
   ※巴里図書館所蔵とあり。ルイ・ルソーがパリの医学研究所で鎖港使節を
    撮影したものが中心の複製写真アルバム

   1-3, 1-6, 1-9, 1-12, 1-15, 1-49, 1-51, 1-53, 1-55

 ○パネル写真に関しては、
  富田仁編集『海を越えた日本人名事典』(1985年刊、日外アソシエーツ社)
  宮永孝『幕末オランダ留学生の研究』(1990年刊、日本経済評論社)
  小沢健志編『幕末 写真の時代』(1994年刊筑摩書房)を参照のこと。


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