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三 東アジアへのひろがり

万葉集巻5
“柳葉を眉中に開き 桃花を頬上に發(ひら)く”(巻5 遊於松浦河序)

15.万葉集

[京都] 出雲寺文治郎 文化2 [1805] 刊本 【書庫E31:1546(南葵文庫)】

 万葉集は当時の東アジアの文化、特に中国文学の影響を強く受けている。巻5には大伴旅人・山上憶良らの歌を収めるが、歌々の間に漢詩文が多く挟まれることも特色である。表現の多くは儒・仏・道教の経典や『文選』『遊仙窟』など様々な漢籍に出典を持つ。
 展示本は、上欄に校異を記すところから校異本と呼ばれる江戸後期の刊本。


遊仙窟
“翠ノ柳ハ眉ノ色ヲ開キ 紅ノ桃ハ瞼ノ新タナルヲ亂ル”

16.遊仙窟 張文成作

[京都] 中野太良左衛門 慶安5 [1652] [刊] 【書庫E46:188(南葵文庫)】

遊仙窟(頭書図画遊仙窟鈔)

17.遊仙窟(頭書図画遊仙窟鈔) 張文成作

元禄3 [1690] 序 刊本 【書庫 鴎E46:126(鴎外文庫)】

 初唐の張鷟(サク、文成は字)の撰とされる伝奇小説。中国の史書は、遣唐使が入朝するたびに大金を出して張鷟の著作を購入したと伝える(『旧唐書』巻149・『新唐書』巻161)。『遊仙窟』は中国では早くに失われて日本のみに伝わり、その後の日本文学に影響を与えた。資料15の柳葉や桃花を用いた美女の表現は本書が典拠と考えられている。


万葉集巻9・1759
“鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上に 率ひて 娘子壮士(をとめをとこ)の 行き集ひ かがふ嬥歌に ...<嬥歌は 東の俗語に「かがひ」と曰ふ>”(巻9・1759 高橋連虫麻呂歌集)

18.万葉集

 [京都] 出雲寺文治郎 文化2 [1805] 刊本 【書庫E31:1546(南葵文庫)】

 万葉の時代、日本には歌垣(うたがき、東国方言では嬥歌・かがい)という行事があった。男女が春や秋に集団で飲食歌舞しつつ、相互に歌を掛け合うもので、求愛の場ともなった。巻9に収められたこの歌は筑波山の歌垣で詠まれたもの。


常陸風土記
“阪ヨリ以東ノ諸國ノ男女 春ハ花ノ開ル時 秋ハ葉ノ黄(モミヅ)ル節 相携ヒ駢闐(ツラナ)リ 飲食齎賚シ 騎歩登臨(ヨヂノボ)リ 遊楽ビ栖遅(スメ)リ”

19.常陸風土記

水戸 聴松軒 天保10 [1839] 刊 水府御蔵版 【書庫G25:314(南葵文庫)】

 和銅6年(713)の詔に応じて提出された地誌「風土記」のうち、常陸国のもの。筑波郡の条では、坂東諸国の人々が春秋に筑波山に登り歌垣を楽しむ様子を伝える。


20.深奥的中国 少数民族の暮らしと工芸 国立民族学博物館編

大阪 東方出版 2008 【開架382.22:Ko49】

 歌垣の風習は、古代日本だけではなく現代の東アジアから東南アジアへと広がっており、中国西南部・インドシナ半島北部の諸民族の間でも行われている。本書は、中国・広西壮族自治区の壮(チワン)族の歌掛けを紹介するもの。


21.古代国語の音韻に就いて 橋本進吉述

[東京] 神祇院 1941 【書庫D30:299】

 万葉集は、中国伝来の漢字(真名)の音訓を利用した万葉仮名(真仮名)で表記されている。文学部教授であった橋本進吉は、国学者石塚竜麿による万葉仮名の用例研究等を再評価し、「エキケコソトノヒヘミメモヨロ」(濁音を含む、「モ」は古事記のみ)の14音には2種類の仮名の使い分けがあったとして、上代特殊仮名遣と命名した。
 なお、このことから古代日本語は8母音(母音ieoが2種類)であったとする説については学界に賛否両論がある。


“善化公主の君は 人知れず嫁入せるに 薯童を夜秘かに抱きて去れり”(巻2 武王 薯童謡)

22.三国遺事 一然撰

[京都] [蔵経書院] 1912 (大日本続蔵経 第1輯第2編乙第23套第3冊)【書庫C40:172:1-2-23-3】

 朝鮮半島にも万葉仮名のように漢字の音訓を用いて詩歌を表記した郷歌(ヒャンガ)と呼ばれるものがある。13世紀高麗の僧・一然が編纂した三国~新羅時代の歴史書『三国遺事』には14首が収められ、古代韓国・朝鮮語研究上の貴重な資料となっている。


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