『はまなすのこみち : 私の歩んだ道』 石館守三 廣川節男 昭和63年5月
昭和33年4月1日、東京大学医学部薬学科は医学部から独立し、東京大学薬学部が創立された。本書はその決断力と指導力で薬学部創立を主導し、初代薬学部長を務めた石館守三の回想録である。石館は故郷青森の海岸に咲いていた「はまなす」の姿と花の香を忘れることができず、本書の表題とした。国内の所蔵館は薬学図書館、国立国会図書館、青森県立図書館のみの稀覯本である。
本書の構成は以下のとおりである。
Ⅰ.はまなすのこみち・その後
1.癌研究の思い出
2.最近の私の仕事-ハンセン病の克服のための海外協力
3.聖書と私
4.人生の選択
5.故郷への思慕
Ⅱ.わが心の調べ-父と母の心の記録(加藤順子編) おやじと私(石館基)
Ⅲ.はまなすのこみち
1.故郷のころ
2.学生のころ
3.生薬教室時代
4.ドイツ留学のころ
5.薬品分析化学教室時代 研究の概要 自然科学の進歩と倫理性
「はまなすのこみち」の冒頭で石館は自らの人生について以下のとおり述べている。
振り返ってみると私の歩んだ道は「歩かせられた道」であるといった方が適当である。何となれば自分で選び、自分の力で歩いてきたなどと自惚れることはできないほどわれわれは他者からの有形、無形の援助と恩恵によってきたと思わざるを得ないからである。そして人は目に見えない大きな摂理の下に生き、生かされていると思わざるを得ないのである。
石館は明治34年1月24日、青森市の薬種商の三男に生まれた。青森中学校在学中、ハンセン病療養所の東北保養園にてき、悲惨な患者の症状に強い衝撃を受け、ハンセン病の治療薬研究のために薬学を志した。
東京帝国大学医学部薬学科に入学し、生薬学教室の朝比奈泰彦教授に師事し、生薬学教室助手、臓器薬品化学講座助教授を経て、昭和17年1月、新設の薬品分析化学講座教授に就任した。少年の日に抱いた石館の志は結実し、昭和21年4月、ハンセン病治療薬「プロミン」合成に成功し、多くの患者が救われた。
石館は平成8年7月18日、95歳の天寿を全うした。若き日にキリスト教主義の学生寮同志会で学んだ「神と人とに仕える」が石館の人生の指針であり、数多の人々がその温かい光によって救われた。日本薬学界の気高き名峰として不朽の足跡を残した生涯であった。本書は石館が満腔の謝意を込めて書き残した人生の追憶であり、恩師朝比奈泰彦への真情溢れる敬愛の念を余すことなく伝えている。