駒場キャンパスの図書について語る際、外すことのできない資料群がある。それが第一高等学校旧蔵資料、所謂「一高文庫」である。駒場キャンパスの由来についていま一度振り返ると、本郷向ヶ丘弥生町にあった旧制第一高等学校が、駒場にあった東京帝国大学農学部と敷地交換する形で駒場に移ってきたのが昭和10年(1935)。本郷キャンパスで数多くの建築を手がけた内田祥三による本館(現1号館)、講堂(現900番教室)、書庫及閲覧室(現駒場博物館)などが建てられ、今に繋がるキャンパスの輪郭がかたち作られた。その後、昭和25年(1950)、旧制高校の廃止により一高の歴史に終止符が打たれると、同じく改組となった東京高等学校(旧制)とともに東京大学教養学部へと包摂され、同校の旧蔵資料も受け継がれた。
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現在、図書以外の資料は駒場博物館に、図書館での保管に適したものは駒場図書館とキャンパス内各研究室にて管理されている。蔵書は和・洋・漢籍と幅広く、ドイツ語による数学や図学の教科書など、洋書による教育実践があったことを感じさせるものが多くあるほか、昭和14年(1939)刊『第一高等学校六十年史』に稀覯書として紹介のある「本朝世紀」(写本)、学生が実習で測量し作成した実測図を含む教育用掛図、日本初のドイツ語雑誌である「Von West nach Ost(『東漸新誌』)」など、教育史的、社会史的にも貴重なコレクションとなっている。『東漸新誌』は、森鷗外研究者の間で長らく「幻の雑誌」とされてきたもので、2018年に駒場で発見された合冊資料により、第5号所収の演劇論「 Über die Theaterfrage (演劇問題に就いて)」など鷗外のドイツ語論文を全て読むことができるようになった。
第一高等中学校実測図
一高の歴史を紐解けば、明治7年(1874)の東京英語学校から始まり、明治10年(1877)に東京大学豫備門、明治19年(1886)に第一高等中学校、明治27年(1894)に第一高等学校と幾度となく改称されているが、その足跡は「一高文庫」における蔵書印のバリエーションの豊富さにより垣間見ることもできる。また、早世した同級生の写真を貼付し思い出を綴った書き込み本なども散見され、若々しい気概と学ぶ喜びに満ちていたであろう一高生の青春に思いを馳せ、その地続きに今の駒場があると改めて感じることもできるだろう。本郷向ヶ丘の地名に因む「向陵」の名に込められた一高の伝統は、確かに駒場の地に引き継がれ、その面影はそこかしこに散らばり、ことあるごとにちらりと姿を覗かせている。
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