総合図書館に所蔵される貴重書の中に、行智『悉曇字記真釈』(A00:5864)がある。行智は江戸後期の当山派の修験僧(山伏)で、同書はきわめて特異な内容を持った悉曇学書(梵語学書)である。インドの言葉で呪文(真言・陀羅尼)を唱えるために、平安時代以来、密教の僧侶たちは熱心に梵語を学習した(山伏である行智は、日本悉曇学の流れにおいては傍流ということになる)。『悉曇字記真釈』は三巻本・五巻本・八巻本と増補されていったのであるが、この総合図書館本は最初期の三巻本の行智自筆本である(巻一の一部と巻三のみ現存)。校閲した平田篤胤の書き込み、それに反論する行智の書き込みが残っている点も貴重である。
行智と伝統的な密教の悉曇学者達との大きな相違は、行智が梵語・中国語だけではなく、朝鮮語(ハングル)・蒙古語・満州語・蘭語・英語・露語のような、世界の言語の表音文字とその発音を学んでいたことであった。いつの時代にも語学マニアというのはいるものである。
行智の交友範囲は驚くほど広く、上述の平田篤胤のような国学者だけではなく、江戸後期を代表する漢字音韻学者・蘭語学者・露語学者たちと親しく交流していたことが様々な記録から知られる。さらには、平戸藩主を引退した松浦静山とは、側近として頻繁に行動を共にしていたし、越中富山藩(加賀藩の支藩)にも出入りをしていた。現在でも東京大学本郷キャンパス三四郎池畔に、第九代富山藩主・前田利幹の命により、行智が石像の考証をした碑文を刻んだ台座が残っている(石像は失われている)。江戸の文人達が身分の差に拘ることなく交流をしていたことは、しばしば指摘されることではあるが、一介の山伏である行智が、複数の殿様たちと親しく交わっていたというのは、やはり驚きである。