三宅雪嶺の回想によれば、明治8、9年の愛知英語学校においては米人教師の影響によってこのエロキューショナリー・リーディングが学校中に広まり、寄宿舎の中庭を通ると、ほうぼうから思わせぶりな声音で朗読する学生たちの声が聞こえたという。なかには感極まって二階の窓から身を乗り出し、身振りをつけて朗読する学生もあった。愛知英語学校で三宅雪嶺の1年上級であった坪内逍遥にも、同じような回想がある。また、明治16、7年当時、外国語学校露語科の学生であった二葉亭四迷も、外国人教師グレーのエロキューションに影響を受けている。グレーは「身振声色交りに手を振り足を動かし眼を剥き首を掉つてゴンチャーロフやドストエフスキーを朗読して聞かせた」(内田魯庵『おもひ出す人々』より)。
ただ、この明治10年前後の日本各地におけるエロキューショナリー・リーディングの流行は、招聘された外国人教師たちの出身学校が古典の教養を重んじる正規の大学ではなく、スクールとかアカデミーと称される専門学校クラスの学校であった点に由来するのであろう。比較的早くから正規の大学出身者を外国人教師に招いた開成学校・東京大学では、英語の授業で朗読に凝ったという話を聞かない。大坂、長崎、愛知、広島、新潟、宮城の官立英語学校は、大坂を残して明治10年2月に廃止されることになるが、それに先立つ明治9年7月、その学生たちは転学を迫られ、80人余が東京英語学校ないし東京開成学校普通科(予科)に移った。上記の三宅雪嶺や坪内逍遥らは、東京の外国人教師がエロキューショナリー・リーディングに興味を示さないことに驚いている。
シェークスピアからは『ハムレット』『マクベス』『リチャード3世』の一節が採られている。また、冒頭には、Elocution の部があり、発声法、抑揚、高低・緩急のピッチ、ポーズの取り方などの説明がある。
マコーレイ、エドガー・ポーなど、上のサンダース・ユニオン・リーダー第5読本に比べると、比較的近代的なテキスト選択がなされている。また、各テキストの末尾には、朗読上の注意点という項目が設けられている。東京大学総理加藤弘之は、ナショナル第5読本がほんとうに読める者があれば月給百円で雇う、と口にしていた。