10 リーダー第5読本


タイトルをクリックすると、画像が表示されます。
画像の表示については、こちらをご覧ください。

 各種のリーダーの最終第5読本は、英米における新しい中等教育ないし教養教育の到達点を示すものである。ミルトン、シェークスピア、テニスン、ワーズワース、マコーレイなどのテキストが並べられ、英文学の一種のアンソロジーを構成している。さらに第5読本の特徴は、朗読法(エロキューション)の練習にあった。これは、レトリカル・リーディング、ドラマティック・リーディング等の呼び方もあるが、テキストの内容を効果的に表現するため、大胆な抑揚をつけ、時には身振りも交える朗読法である。ギリシア・ローマの古典に縁遠くても、自国の古典を理解し、抑揚をつけて朗読することが、産業革命の時代の中間管理職に求められた教養であった。第5読本には、この朗読の方法が詳細に説かれている。

 三宅雪嶺の回想によれば、明治8、9年の愛知英語学校においては米人教師の影響によってこのエロキューショナリー・リーディングが学校中に広まり、寄宿舎の中庭を通ると、ほうぼうから思わせぶりな声音で朗読する学生たちの声が聞こえたという。なかには感極まって二階の窓から身を乗り出し、身振りをつけて朗読する学生もあった。愛知英語学校で三宅雪嶺の1年上級であった坪内逍遥にも、同じような回想がある。また、明治16、7年当時、外国語学校露語科の学生であった二葉亭四迷も、外国人教師グレーのエロキューションに影響を受けている。グレーは「身振声色交りに手を振り足を動かし眼を剥き首を掉つてゴンチャーロフやドストエフスキーを朗読して聞かせた」(内田魯庵『おもひ出す人々』より)。

 ただ、この明治10年前後の日本各地におけるエロキューショナリー・リーディングの流行は、招聘された外国人教師たちの出身学校が古典の教養を重んじる正規の大学ではなく、スクールとかアカデミーと称される専門学校クラスの学校であった点に由来するのであろう。比較的早くから正規の大学出身者を外国人教師に招いた開成学校・東京大学では、英語の授業で朗読に凝ったという話を聞かない。大坂、長崎、愛知、広島、新潟、宮城の官立英語学校は、大坂を残して明治10年2月に廃止されることになるが、それに先立つ明治9年7月、その学生たちは転学を迫られ、80人余が東京英語学校ないし東京開成学校普通科(予科)に移った。上記の三宅雪嶺や坪内逍遥らは、東京の外国人教師がエロキューショナリー・リーディングに興味を示さないことに驚いている。



前へ次へ展示資料一覧「東大黎明期の学生たち」トップページ