6 ハルトリー商会
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ハルトリー( John Hartley )はイギリス人。元治元年(1864年)に薬剤師として横浜に来日。翌年、独立して薬品・書籍の輸入業を営み、さらに東京の築地居留地、大坂の川口居留地にも商館を構えた。初期の東京大学に数多く洋書教科書を納入した。
- 南校より本省宛て伺い文書.『含要類纂 巻之廿八』所収 [五十年史料 86]
明治4年10月、ハルトリーは南校より注文のあった書籍を納入した。当時南校は、大学南校の大量の学生を精選淘汰し、より高度な教育をめざす少数精鋭の学校へと模様替えの最中であった。したがって「草創之折柄費用も莫太ニ有之」、「不時之出金ハ迚も難出来」いので「御省より別段御出金有之度候様いたし度」と、費用の肩代わりを依頼している。この時のハルトリーの納品書目は別紙に記載されているが、ウェイランド『倫理学』、ジョン・スチュワート・ミル『論理学』などで、総計200ドルほどの価格である。ちなみにウェイランド『倫理学』1冊の納入価格は1ドル75セント、ほぼ大工の日当5日分にあたる。
- Monseigneur Daniel, Abrege chronologique de l'histoire universelle. 1865 [総合図書館 洋書教科書:477]
「東京開成所」と「大学南校」の印記を有するフランス語の世界史教科書。「東京開成所」の印記から、この書籍が、明治2年12月に大学南校と名称の改まる以前に納入されていたことが窺える。書店印は「外国本屋薬種屋道具屋横浜本町通八十四番ハルトリー、並ニ江戸大阪商売仕候」である。
- G. Beleze, La Physique et la chimie. 1870 [総合図書館 洋書教科書:20]
フランス語の物理化学教科書。印記はないが、書店印には「横浜弁天通九十三番ハルトリー」とある。居留地の外国商館の住所録である『ジャパン・ディレクトリー』をたどると、ハルトリーは明治4年(1871年)から明治5年まで九十三番に居を構えている。その年代から見て、大学南校ないし南校に納入された教科書であろう。
- George Fownes, A Manual of elementary chemistry, theoretical and practical. 1871 [総合図書館 洋書教科書:844]
書店印は「ハルトリー大坂十六番」とある。ハルトリーは明治4年から5年にかけて大阪の川口居留地十六番に商館を構えていた。ただし、本書には「第一大学区開成学校図書」の印記があるので、明治6年以降の納入と思われる。「第拾壱号」という複本番号があるが、この貸与用の教科書を使用した久原躬弦は元貢進生で、明治10年の第一回理学部化学科卒業生。留学後、明治17年に東京大学教授となった。
- E. Cortambert, Cours de geographie. 1872 [総合図書館 洋書教科書:731]
書店印に「ハルトリ ヨコハマ二十四番、エド四十九番、オーサカ十六番」とあるが、ハルトリーは明治5年以降横浜居留地24番に居を移した。「第一大学区開成学校図書」の印記がある。
- 横浜全図. 横浜開港資料館普及誌『たまくす』第5号所収 [個人蔵]
外国人居留地は、現在の中華街から埠頭にかけての一帯にあたる。その東方、現在の桜木町駅のあたりでは埋め立てが進み、明治5年に開通する新橋・横浜間の鉄道工事がかなり進捗している様子が窺える。
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