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皮膚病論一斑  V11:1783 (墺)阿爾麥・笨・老烈講義;田野俊貞口訳、石井栄三筆記 明治13(1880)刊

皮膚病論一斑

 本書は、オーストリア人医師アレブレヒト・フォン・ローレッツ(Albrecht von Roretz) の日本でのドイツ語による皮膚科の講義録の翻訳書であり、明治13年(1880)に刊行された。来日後、彼は自分の名を記すのに阿爾麦・笨・老烈なる宛字を使っている。

 ローレッツ(1847?― 1884)は、オーストリア貴族の出であり、ウィーン大学医学部において医学を修めた。明治初期、いわゆる「お雇い外人教師」として来日し、初めは東京医学校(本学医学部の前身)の講師を務めたようである。明治9年(1876)からは愛知県公立医学所(名古屋大学医学部の前身)の教師として4年間にわたり臨床各科の教育にあたった。また精神病患者のための特別病棟の新設や名古屋市の下水道整備など医療・衛生面でも幅広い活動を行った。その後、石川県金沢医学校(金沢大学医学部の前身)を経て、明治13年(1880)に山形県医学校(済生館)の医学寮教頭として迎えられた。済生館の記録によれば、ローレッツは明治15年まで在職し、内科・外科・眼科・産科などの臨床各科のほか、法医学や顕微鏡学も担当した。なかでも顕微鏡学は彼の最も得意とするところで、残された講義録からもかなり高度の講義を行ったことがうかがわれる。活躍した年月はさほど長くなかったとはいえ、ローレッツがわが国、とくに地方における医学の教育と実践に残した足跡は大きなものがある。

 こうしたローレッツの日本での経歴と本書の刊行時期からみて、「皮膚病論一斑」は彼の名古屋時代の講義をもとにしたものと考えられる。(山口先生)


切支丹流外科  V11:2061 写

切支丹流外科



瘍科精選圖解  V11:1909 労冷斯・苛意志的爾撰;越邑徳基訳 牧信盈(墨僊)画  文政3(1820)刊

瘍科精選圖解 瘍科精選圖解



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