はつかいし
72.初懐紙
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A00-竹冷177
(天明五年)初懐紙
几董編。刊本、半紙本1冊。天明5年(1785)1月、自序。原題簽、中央無辺「初懐帋」。25丁。刊記「書肆橘仙堂梓」。版下は几董自筆。安永元年(1772)春夜楼を結成した几董は、翌年春から寛政元年(1789)に没するまで、天明8年を除いて毎年、一派の春興帖を編んでいる(計16冊、内5冊は所在不明。「天明七年初懐紙」の項参照)。本書は几董の師蕪村が没した1年後のもの。序に塩山亭築造の経緯を述べ、巻頭に正月14日、塩山亭における初会で興行した一順世吉を掲げる。なお、天明5・6・7年の『初懐紙』3冊は同帙に収められており、それぞれの題簽下部に朱筆で「壱」「弐」「参」と記されている。

(天明六年)初懐紙
几董編。刊本、半紙本1冊。天明6年(1786)1月、自序。原題簽、中央無辺「初懐帋」。29丁半。刊記「丙午春二月/洛書肆 橘仙堂梓」。刊記に続いて広告「続一夜松前集 三月出板/同後集 五月出板」。版下は几董自筆。前年の秋、几董は『続一夜松集』編集のため東行。本書序文はその紀行の経緯を以下のように伝えている。木曽路を通って善光寺路人亭に三泊。江戸に着くとまず深川の芭蕉庵を訪れ、蓼太と東海寺に遊ぶ。泰里・成美らとの面会を果たし、石町の旧夜半亭に旅寓。この間、蓼太の推薦により夜半亭三世を継承。蓼太らに見送られ、東海道を通って帰京した。本書巻頭の一順歌仙立句として、帰途の富士を詠んだ句「見しや其富士をうしろに柳かな」を掲げる。この年の『初懐紙』には、旅の途上で交流した江戸・信州の俳人が多く入集している。

(天明七年)初懐紙
几董編。刊本、半紙本1冊。天明7年(1787)1月、自序。原題簽、中央無辺「初懐帋 夜半亭」。26丁。刊記「洛北橘仙堂梓行」。版下は几董自筆。几董は前年、『続一夜松前集』『続一夜松後集』2冊を北野聖廟に奉納し、名実ともに夜半亭を継承。本書と寛政元年『初懐紙』は、題簽に「夜半亭」と記す。序に、安永2年の初懐紙から天明6年に至るまでの巻頭「誹諧之連歌」の立句14全てと、当年の発句「自得(前書) うぐひすに我下手恥ん十五年」を集録する。  (千野)

 
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