[一般展示のページへ] [特別展示会のページへ] [ 附属図書館のページへ ]

ⅠⅠ.凌雲閣をめぐる人々

 浅草凌雲閣の建設には、東京大学の関係者が関わっていた。
 設計者であるW.K.バルトン(William Kinninmond Burton, 1856-1899)は明治20(1887)年に内務省衛生局雇技師兼東京帝国大学工科大学教師として来日した。専門は、衛生工学(上下水道の設計)で工科大学衛生工学講座における初代教員として衛生工学技術者の育成にあたり、多くの技術者を輩出した。また、日本各地で上下水道の計画(一部地域は設計・敷設)を行い、衛生環境の向上に貢献した。
 建築監督である辰野金吾(1854-1919)は、東京駅や日本銀行本店をはじめ明治期を代表する建築家として知られているが、もとは帝国大学工科大学の教授であった。
 凌雲閣に我が国で初めてのエレベータ(初代)を設置した藤岡市助(1857-1918)も帝国大学工科大学の前身である工部大学校の教授を経験している。退任後は実業界で活躍し、自身が設立した「東京電気株式会社」(のちの東芝)を通じて電球の量産に大きく貢献した。
 「なお、民間の建築物である浅草凌雲閣の設計・建築監督として帝国大学の在籍者が関わった理由としては、当時の建築業者の建築・設計技術が未熟であり(特に煉瓦造・石造)、政府が雇用する技術者が建築の工程に多く関わっていたためである。」(稲垣栄三『日本の近代建築 : その成立過程』(上)より)


6.臺灣総督府「臺灣事情」大正12年版
 【総合図書館 ZJ:4】
 衛生工学に通じたW.K.バルトンは、内務省衛生工事顧問技師として日本国内の上下水道普及に尽力した後明治29(1896)年に台湾へ渡り、上下水道普及のため全島踏査・設備の設計を行った。明治32(1899)年マラリアにより没するが、当時出版されていた台湾の年鑑『臺灣事情』には長らく彼の功績が名前とともに掲載されている。

 クリックで拡大・台湾事情
 *画像をクリックすると拡大します。


7.鳥海たへ子著「霧の中から : 祖父バルトンを思う : 遺稿 ; 強き糸 : 遺歌稿 」(日本下水文化研究会、1994)
 【総合図書館 914.6:To68】
 W.K.バルトンの孫・鳥海たへ子によって記された、祖父への思いが綴られたエッセイ・歌集。明治20(1887)年 帝国大学工科大学(現・東京大学工学部・工学系研究科)の教師として来日した後の生活が親族の視点から綴られている。
 掲載されている写真には彼の和服姿が写されたものがあり、日本文化に慣れ親しんでいたことがうかがえる。


8.日本銀行百年史編纂委員会編纂「日本銀行百年史」(日本銀行、1982-1986) 第1巻, 第2巻
 【総合図書館 N50:1544】
 日本銀行は明治15(1882)年永代橋にて開業し、明治29(1896)年には日本橋・本石町の日本銀行本社(現存)へ本社機能を移転し現在に至っている。
 辰野金吾と日本銀行の関係は深く、辰野本人は日本銀行本店のほか、大阪支店、京都支店、門司支店の設計に関わっている。また、開業当初使用された永代橋の建物も工部大学校在学時に製図に関わったとされる。


9.白鳥省吾編輯「工学博士辰野金吾傳」(辰野葛西事務所、1926)
 【総合図書館 H20:702】
 『工学博士辰野金吾傳』では辰野金吾の生涯、関わった建造物について詳細に触れられている。設計に関わった建造物一覧では、辰野本人だけではなく、彼が東京に設立した「辰野葛西事務所」、大阪に設立した「辰野片岡事務所」が設計に関わった建造物の情報が多数掲載され、明治~大正期に建造された建築物に大きな影響を及ぼしたことがわかる。


10.「東京電氣株式會社五十年史」(東京芝浦電気、1940)
 【総合図書館 XB30:119】
 藤岡市助が設立した「東京電氣株式會社」の社史には、創立者である藤岡市助の肖像が大きく掲載されている。
 東京電氣株式會社は、白熱灯の量産化を目的に設立された合資組織「白熱舎」・東京白熱電灯球製造株式会社が母体となっている。昭和14(1939)年には芝浦製作所と合併し、東京芝浦電気株式会社として現在も電気機器の製造・販売を行っている。

 クリックで拡大・東京電気株式会社五十年史
 *画像をクリックすると拡大します。


11.瀬川秀雄編纂「工學博士藤岡市助傳」(工學博士藤岡市助君傳記編纂會、1933)
 【総合図書館 H20:2493】
 『工學博士藤岡市助傳』には藤岡市助の功績や日常が700ページにわたり記されている。その中で凌雲閣のエレベーターについて「我國最初のエレベーター設計」として2ページだけ触れられている。
 「其筋から危険なりと認められ、僅か二箇年間にて廃止」とあるが、廃止後、明治23(1890)年にはアメリカ・オーチス社製電動エレベーターが新たに備え付けられ、彼が計画した「水力を以って引き上ぐるエレベーター」が日の目を見ることはなかった。



>>TOPページに戻る   >>1.凌雲閣とは   >>3.内藤多仲と東京タワー
この展示についてのご意見、ご感想は
附属図書館展示委員会 srv.sen[at]lib.u-tokyo.ac.jp まで