東大初期洋書教科書の世界(常設展:2005年4月〜6月)

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  1. 書籍の買い入れ先
  2. ハルトリー商会
    ハルトリー( John Hartley )はイギリス人。 元治元年(1864)横浜に到着後、慶応3年(1867)に独立して商社を経営し、おもに薬種と書籍を取り扱った。 慶応4年(1868)1月には大阪の居留地(淀川河口)にも店を開いた。 大学南校に多くの書籍を納入したものと思われる。 横浜居留地24番の店については、明治6年12月1日付けの『横浜毎日新聞』に「各国書籍品々2万冊」を安く売却するという閉店セールの広告が見える。 ハルトリー商会の印には、「横浜弁天通九十三番ハルトリー」「ハルトリー大坂十六番」「外国本屋薬種屋道具屋横浜本町通八十四番ハルトリー、並ニ江戸大坂商売仕候」「ハルトリ、ヨコハマ二十四番、エド四十九番、オーサカ十六番」の4種が確認できる。 このうち「横浜弁天通九十三番ハルトリー」印を持つ書籍の多くに大学南校の印記があるので、ハルトリー商会の中では最も古い印であると推測される。
    Hartley
    丸善
    丸善は異色の蘭学医、早矢仕有的によって開業された。 早矢仕は美濃出身。 安政4年(1857)に江戸に移り、慶応3年(1867)まだ鉄砲州にあった福沢諭吉の塾で英学修行に励んだが、生来事業の才があり、やがて洋書、薬品、医療器具を輸入して販売することを思い立って明治2年(1869)横浜に、翌年には東京に開業した。 店は丸屋を名乗り、早矢仕は丸屋善七と称した。当初は慶応義塾の出版物の委託販売や新聞雑誌の売り捌きに関わったが、その後、輸入書籍の販売や翻刻書の刊行まで手がけるようになった。 その販売書籍の表紙見開きの上部には、赤、濃紺、黒、緑のシールが貼られている。 開成学校以降は、丸善から多くの教科書を購入したものと思われる。
    丸善シール



  3. リーダーの時代
  4. リーダー( Reader )すなわち読本とは、19世紀前半のアメリカにおける教育の大衆化とともに整備された英語学習システムである。 スペリングから始まって、初等文法からかんたんな読み物へ、さらに文学作品のアンソロジー、または当時の一般教養の到達点と目された修辞学や朗読法教授まで、5〜6冊の分冊によって構成される。 第一リーダーから順次高次のリーダーに進むことによって、英語国民が独学でも高度の英語を学習できることをめざした教科書である。 明治初期の日本が英語の教科書として採用したのもこのリーダーであり、当時は、ユニオン・リーダー、ウィルソン・リーダーなどが代表的なリーダーであった。 リーダーは、当時の英語の学力を計る基準としても用いられ、上級学校の英語の試験の範囲を示すのに、しばしば「ユニオンの第四リーダー程度」などと公示された。 これは江戸後期以降の漢学が、四書、五経、左国史漢という順を踏んで学習され、やはり試験範囲を示すのに「漢書読了程度」などと公示するのに対応する。

    Union Reader No. Three Sixth Reader
    ▲ユニオン第三リーダー(医学校典籍方) ▲ユニオン第六リーダー(第一大学区開成学校図書)



  5. 授業の下調べ,書き込み
  6. 洋書教科書の中には、多くは鉛筆書きで、語釈が書き込まれているものが見られる。 授業の下調べか、あるいは授業中の書き込みであろう。

    Simples recits d'histoire de France Simples recits d'histoire de France Simples recits d'histoire de France.「フランス史読本(フランス語)」
    いずれも第一大学区開成学校図書の印記を持つ。 開成学校時代には、ほとんどの授業が英語でおこなわれるようになり、それまでフランス語を学んでいた学生には諸芸学科、ついで物理学科しか進路が残されていなかったから、そうした理科系の学生の授業に用いられた教科書であろう。 あるいはフランス語の学習も義務づけられていた法学科の授業に用いられた可能性もある。 見開きの2冊の3ページを較べてみると、ともにcampement ( 15 行目 ) には「ジンヤ」、ateliers ( 18 行目 ) には「サイクバ」と特徴的な訳語が記されており、同一の辞書を用いて下調べをしたか、同じ授業で日本人助教の解説を書き記したか、そのいずれかであろうと思われる。
    Morceaux choisis des classiques francais A. Pellissier ( ed. ), Morceaux choisis des classiques francais, Paris, 1873.
    フランス語の古典アンソロジーで開成学校の印記を持つ。 「フランス史読本」と同じように、理科系あるいは法学科の学生にフランス語を教える目的で用いられたものであろう。 見開きの右ページは、17世紀の寓話作家ラ=フォンテーヌの「狐と葡萄」という寓話である。 寓話第2行の treille には arbor 、第4行の peau には skin 、第7行の goujats には soldier boy と、それぞれ鉛筆書きで英語訳が書き込まれている。 なんらかの仏英辞典によって下調べをしたものであろう。 第1行めの gascon にも同じく鉛筆でなんらかの書き込みがあるが、学生はおそらくやや特殊なこの語を調べそこねたのであろう。 同じ筆跡と思われるペン書きのノートが、鉛筆の書き込みを訂正するように「Gascogne ノ人――人ヲ欺クニ巧ミナリ」と記している。 おそらく授業中に教師の説明をもとにノートしたものと思われる。



  7. 幻の「理学校」印記
  8. Beginselen der stelkunst Kempees, Beginselen der stelkunst, 1868.
    明治元年(1868)11月、政府は幕府から引き継いだ開成所の理学化学両教場を大坂に設け、これを舎密局と称した。 長崎からオランダ軍医ハラタマを教官として招き、新しい理科系の洋学センターとする計画であったらしいが、明治3年(1870)4月、大学南校の管轄に入り、理学所、ないし理学校と呼ばれた。 明治5年(1872)8月、学制発布にともなって理学校は廃止され、普通学を主とする第四大学区第一番中学となり、理学校の教員と設備とは順次東京の開成学校に移された。 展示の書籍はオランダ語の代数学書である。 この時、開成学校に移された一冊であると思われる。



  9. マクスウェルの教科書
  10. Maxwell J. Clerk Maxwell, Theory of Heat, London, 1880.
    マクスウェル( 1831〜79 )は電磁気学を大成したイギリスの物理学者。 この熱学書の初版は1871年刊で、当時最新の気体分子運動理論を紹介している。 展示書には「第十四号」という複本番号が墨書されているので、すでに明治13年ごろ、成立したばかりの東京大学理学部で教科書として用いられていたことがわかる。



  11. 大ガノーの物理学書
  12. Ganot A. Ganot, Traite elementaire de physique.
    大学南校や開成学校のカリキュラムで「ガノー氏物理学」として掲げられる教科書。

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