幕末の洋学者がいかに語学の修得に苦労したかは、福沢諭吉の『福翁自伝』などによって明らかである。 欧米との経済格差のために輸入される洋書はきわめて高価であったから、これを購入することのできない貧しい洋学者は、たいへんな手間暇をかけて文法書や読本を筆写し、しかる後にようやくその学習にとりかかる状態であった。 明治政府はよく知られているように、苦しい財政にもかかわらず、多額の報酬によって米・英・仏・独から外国人教師を招聘したが、そのかたわらで、幕末の洋学者たちの閲した苦難を軽減するため、相当な額にのぼる予算を投じて洋書教科書をも買い入れ,これを新時代の学生たちに貸与して彼らの学習の便宜を計った。
笈を負って上京した没落士族の子弟たちが、貧しさに耐えながら学問にはげみ、わずかな期間のうちに新しい知識を身につけることができた背景には、この教科書の貸出システムが存在していたと言って過言ではない。 彼らが手にしたのは、洋書とはいえ貧弱な装幀の中等教育の教科書であったが、それにしても貸与された書物には離れがたい愛着をおぼえたものらしく、おそらく自分が読んだというしるしを残すためであろう、多くの教科書にはかならずと言ってよいほど使用者の署名や捺印が見受けられる。 これらの教科書は、明治初期の洋学の受容を研究する上できわめて有益な資料であり、現在、文学部の文化資源学研究室の手で整理が進められている。