東大の総合図書館には、たくさんの「文庫」がありますが、その中でも良く知られているものが、「鷗外文庫」でしょう。同文庫は、1926年1月に森鷗外の遺族より本学図書館に寄贈されたもので、和漢書15924冊、洋書2681冊、合計18605冊のコレクションです。
鷗外文庫には、萩原朔太郎が鷗外に献呈した『月に吠える』の初版本が収められています。近代文学に詳しい方ならご存知の通り、初版『月に吠える』は、発禁指定(内達)を受けており、問題箇所を削除して刊行されました。鷗外への献本は、この削除版であり、「注意 その筋の注意により、『愛憐』『戀を戀する人』の2篇(103頁より108頁)までを削除す。」と削除した跡が残されています。
『月に吠える』初版謹呈本の削除箇所(「鷗外文庫」)
同 奥付
たとえば「愛憐」の中には、
ああわたしはしつかりとお前の乳房を抱きしめる、
お前はお前で力いつぱいに私のからだを押へつける、
さうしてこの人気のない野原の中で、
わたしたちは蛇のやうなあそびをしよう、
などという詩句があり、これが風紀紊乱の種となる、という理由で発禁対象になったのでしょう。今なら何でもない表現なのですが、『月に吠える』が出た1917(大正6)年はそうではなかった、ということでしょうね。この2篇を削除して上梓したこと、作者としてはこの上ない悲しみだったに違いありません。
この詩集が出たときには、森鷗外は言うまでもなく、文壇・詩歌壇の大御所でした。『月に吠える』にも、鷗外の詩歌集『沙羅の木』(1915年刊)の中のデーメルやクラブントの訳詩の影響があると言われています。また、鷗外も『月に吠える』に感心したと見え、寄贈された初版本には、彼自身によると思われる赤い傍線がたくさん引かれています。
朔太郎の詩を良しとした鷗外です。同時に、『愛憐』『戀を戀する人』の欠落を残念に思ったに違いありません。彼自身の著作『ヰタ・セクスアリス』(1909年7月「スバル」)もまた、掲載誌ごと発禁になっています。鷗外はきっとこの時のことを思い出し、二重に憤りを感じたことでしょう。
いっぽうで鷗外は、陸軍の人でもあり、上級官僚でもありました。体制側の人間としての立ち居振る舞いをしなければならない立場でもあったわけです。この立場上の苦悩は、明治末の大逆事件への対応によく表れていますが、『月に吠える』を読みながら、彼はそんなことまで思い出していたかもしれませんね。
「東大で出会った私の1/1,000万冊」ということで、今回は特に『月に吠える』初版謹呈本をあげてみました。こんな些細なことでも語り出せば果てしない思いが湧くように、図書館は尽きせぬ泉であり、過去の人々の思いが積リ積もった場所でもあります。図書館長として、一人の読書人として、こうした思いをいくばくかでも、皆様と分かちあえたら、と日々思いながら暮らしている次第です。