エドワード・シルベスター・モース
(Edward Sylvester Morse アメリカ 1838−1925)

  理学部 動物学 
  明治10(1877)7月12日−明治12年(1879)8月31日雇用

 モースは、明治10年6月−11月、11年4月−12年9月、15年6
月−16年2月の計3回、日本に滞在した。東京大学との契約は、明治10
年7月から2年間、月給は350円(ちなみに日本人教授は100円)、初代
の動物学の教授に就任した。わずか2年の間に彼は、近代動物学への導入、
東京大学生物学会(現日本動物学会)の創設、大森貝塚の発見・発掘で日本の
考古学・人類学の幕を開き、東大に進言して日本最初の大学紀要を発刊させ、
また、博物場を新設させた。また、モースが収集した陶器、民具、看板など
は、世界的に有数のコレクションとして残り、関東大震災、第2次世界大戦
などで焼失したりして日本に残っていないものを見ることができる。


  1. Japan day by day / Edward Sylvester Morse   1917年 Houghton Mifflin Comp   縦17.2cm、横22.6cm 2冊   総合図書館 A100:1293 貴重書  大正12(1923)年9月1日、関東大震災で、東京帝大図書館が所 蔵していた数10万の蔵書が灰となった。それを知ったモースは、1万 2千冊の蔵書を東大に寄贈した。これは、その中の1冊である。  この図書は、モースが、3度日本に来日した際に書かれた、日記及び 733点のスケッチをもとに、大正6(1917)年に出版されたもので、 明治10年の頃の日本を知る貴重な資料である
  2. モース16歳の時のスケッチ   縦5.0cm、横9.1cm    理学部生物学科図書室  モースは12、3歳の頃から貝の収集を始め、18歳で新種も発見し、 10代の末にはボストン近辺の同好家に名が通っていた。一方、彼はも ともと絵がうまく、16歳で製図工の職に就いたほどの腕前だった。こ の貝の図はその16歳の時のスケッチ。モースの伝記を書いた女性作家 ウエイマン(Dorothy G. Wayman)が昭和14(1939)年に東大動物学 教室を訪問した際に寄贈したものと思われる。
  3. モースが左手で描いた貝のスケッチ(佐々木忠次郎旧蔵)   縦8.9cm、横9.0cm(一枚貝)   縦9.0cm、横9.4cm(二枚貝)    理学部生物学科図書室  モースは絵がうまかった上、両手を同時に使って絵を描く妙技で名高 かった。このスケッチは明治11(1878)年とあるから東大教授時代 に描き、理学部生物学科で最初の弟子の1人、佐々木忠次郎に与えたも の。佐々木はのち東京帝国大学農科大学教授になった日本昆虫学のパイ オニア。明治10(1877)年9月16日、モースが大森貝塚を初めて 発掘したときにも同行している。
  4. 「理科会粹」第一帙 「大森介墟古物編」  明治12年12月  縦28.5cm、横19.6cm  理学部人類学教室 H237    東京大学から刊行された最初の学術報告書である。人類学、考古学、 先史学の分野では日本最初の科学的、数量的な報告書であり、その後の 研究に影響を与えた。「図稿」は本冊図版原稿として実測に基づいて描 かれた土器、石器、獣骨等の原図である。学史的意義が大きい。
  5. A graduated course of natural science / Benjamin Loewy   1891年  London Macmillan   縦17.1cm、横11.7cm   総合図書館 T250:632  大正12(1923)年9月1日の関東大震災で東大総合図書館が全焼 したことを知ったモースは、遺言状を書き換えて全蔵書1万2千冊を寄 贈した。この好意に感謝して、寄贈された雑誌と単行本には、晩年のモー スの肖像の入った蔵書票が貼られている。
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