(Oskar Kellner ドイツ 1851−1911)
農学部
明治14(1881)年11月5日−明治25(1892)年12月31日雇用
前任者のイギリス人教師キンチ氏(E.Kinch)の後任として、明治14(
1881)年来日し、以後12年間にわたって、駒場農学校、東京農林学
校、農科大学と発展していくなかを一貫して、農芸化学の教師として農学
教育に尽力した。農芸化学科在籍者のうち57名の卒業生を送りだし、そ
のなかには後の東京帝国大学総長となる古在由直やわが国の農芸化学界で
活躍する人々を輩出した。明治25年、メッケルン農事試験場場長に就任
するよう故国ドイツから懇願され、日本永住の意志を断ち切って同年帰国
した。
ケルネルの日本における貢献は、リービッヒ(J. v. Liebig)が提唱した
「植物無機栄養説」や化学研究教育法を正しく日本に紹介したことである。
稲作の肥料試験、燐酸肥料分析などはわが国の稲作改良に大きな影響を及
ぼした。農学部3号館1階正面柱右脇に胸像がある。
- 実験分析結果ノート(Results of analysis performed at the
Chemical Laboratory of Imperial College of Agriculture)
縦34.0cm、横21.7cm 341p
農学部図書館 貴重書
これは明治11(1878)年から前任者のキンチ(E. Kinch)が記入
した実験ノートに、後任のケルネルが引き継いで分析結果のデータを
記したものである。対象は土壌分析、桑の病源菌防除、人糞尿の分析、
干草の栄養価分析など日本の国土に根差したものであった。この分析
結果は、同時期に来日した外国人教師フェスカ(M. Fesca)の名著「日
本地産論」の1章として紹介されている。
- 農芸化学分析書原稿ノート
(Kellner's notes on the quantitative analysis)
縦32.8cm、横21.6cm 3冊
日本農芸化学会所蔵
ケルネルは来日直後から講義を開始した。課目は、土壌肥料学、植
物生理学、家畜飼養学から気候学にまで及んでいる。これは化学分析
実験の指導のために書かれた英語の原稿ノートで、来日後に駒場でお
こなった分析実験結果も盛り込まれている。講義はこのノートをもと
に英語で行われた。
- 「農科大学学術試験彙報」第1巻
1894年
縦23.5cm、横16.4cm
農学部図書館 貴重書
滞日中のケルネルの報文は故国の「独逸農事試験雑誌」、日本の
「官報」や「農科大学学術報告」など30篇近く発表され、その後門
下生により和訳されて、上記の誌名で明治27(1894)年刊行され
た。
- 古在由直「ドクトル、ケルネル氏日本在留中の事蹟」
「農学会会報」第19号
1893年
縦22.2cm、横15.9cm 6p(p.1−6)
農学部図書館
明治25年末、日本での滞在を望みつつ、故国ドイツからの要請に
より帰国したケルネル氏の功績を讃えて門下生の古在由直が記した報
文である。「大日本農会報」第139号(1893年、14−18p)
にも同時収載。
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