(Josiah Conder イギリス 1852−1920)
工学部 建築学
明治10(1877)年1月28日−明治24(1891)年7月10日雇用
工部大学校造家科(建築学科)において日本ではじめて本格的な西欧式建築
教育をおこなった。帝国大学造家科になっても引き続き学生の教育にあたり、
明治期のすぐれた建築家たちを育てた。また日本最初の建築設計事務所を開
設した。鹿鳴館・東京帝室博物館など多くの洋風建築も設計している。東京
帝国大学名誉教師、(日本)建築学会名誉会長・名誉会員でもあった。日本人
を妻とし、日本で亡くなった。河鍋暁斎について日本画を学ぶなどの日本趣
味もあった。なお、工学部1号館前庭に新海竹太郎作の銅像が建てられてい
る。
- 「造家必携」 / ジョサイヤ・コンドル述、松田周次・曾禰達蔵筆記
明治19(1896)年 績文舎
縦19.3cm、横13.4cm 121p
工学部建築学科図書室 構33 貴重書
コンドルが家屋の建築について述べたものを日本語にしたもの。工部
大学校第1回卒業生たちによって明治12年に設立された工学会は日本
最初の工学の学会であるが、その機関誌「工学叢誌」「工学会誌」に、
明治17−18年にかけて9回にわたり掲載されたものをまとめたもの。
- 工部大学校卒業論文 / 辰野金吾
1879(明治12)年
縦33.8cm、横21.8cm 本文32枚
工学部建築学科図書室 卒業論文1 貴重書
- 工部大学校卒業論文 / 片山(原田)東熊
1879(明治12)年
縦33.6cm、横21.9cm 本文32枚
工学部建築学科図書室 卒業論文2 貴重書
論文テーマ「The future domestic architecture」
コンドルによる講評の記載あり
造家科(建築学科)の第1回卒業生4人の卒業論文の最終頁には、コン
ドルの記した講評がある。第2回以降の卒業論文にはコンドルが署名を
したものはあるが講評はない。また現存する工部大学校の他の科の卒業
論文にも御雇外国人教師等が講評を記したものはない。辰野・片山(原田)
はともに明治時代の代表的建築家。講評の日本語訳は、村松貞次郎著
「お雇い外国人15 建築・土木」(鹿島出版会)の27−28pを参照。
- Steam boilers. 3rd ed / R. D. Munro
1899年 London : Charles Griffin & Company
縦19.9cm、横14.0cm 157p
工学部機械系3学科図書室 ウェスト文庫 W57
工部大学校・(東京)帝国大学工科大学の機械科の御雇外国人教師だっ
たウェストの旧蔵書。ウェストが明治41年に日本で亡くなった後、同
僚だったコンドルから東京帝大に寄贈された。
工学部1号館前庭にはウェストの胸像がたっているがその台座はコン
ドルの設計。なお、イギリスのコンドルの子孫の家には、ラフカディオ・
ハーン(小泉八雲)がウェストに贈ったハーンの著書が現存するそうで
ある。
- A manual of machinery and millwork
/ William John Macquorn Rankine
1869年 London : Charles Griffin & Company
縦19.2cm、横13.5cm 588p
工学部機械系3学科図書室 ウェスト文庫 W129
コンドルが東京帝大に寄贈したウェストの旧蔵書。この本の著者ラン
キンはイギリス・スコットランドのグラスゴー大学教授で、工部大学校
の御雇外国人教師たちの来日に貢献があった。またランキンの著書は工
部大学校をはじめ日本でもテキストとして使われた。
- 「旧工部大学校史料 / 旧工部大学校史料編纂会編」
昭和6(1931)年 虎之門会
縦22.8cm、横15.8cm 356p
総合図書館参考室 K40:D:2
工部大学校出身者の団体である虎之門会が刊行した工部大学校に関す
る史料集。多くの貴重な史料が収録されており、御雇外国人についても
コンドル、ミルン等の肖像や外人略伝が収録されている。回想を集めた
「旧工部大学校史料附録」も一緒に刊行された。昭和53(1978)年
に「史料」と「史料附録」を合わせた復刻版が青史社から出版されてい
る。
- The Calendar of the Imperial College of Engineering
(Kobu−dai−gakko), Tokio. For 1884−5. 1885−6.
1884−1885年
Tokio : Printed at the College Press
縦23.3cm、横15.9cm 2冊 66+130p(1884年度)
67+139p(1885年度)
総合図書館書庫 Zk:T646E
工部大学校の時間割や規則などを記した英文の大学要覧。付録として、
御雇外国人教師等が出した各期の試験問題や学生の成績が英文で印刷さ
れている。1883(明治16)年度以降の Calendar には試験問題の出
題者名も掲載されているが、1880年度までは問題だけで出題者名は
印刷されていない。Calendar と別に日本語の「学課並諸規則」がつく
られたが、そちらには試験問題や成績はない。なお、この Calendar の
表紙・標題紙における「東京」の英文表記は、1883年度まではTokei、
1884、85年度がTokioになっている。
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