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鴎外文庫について
 東京大学総合図書館に森鴎外の旧蔵書、いわゆる鴎外文庫が収められているのは、こと研究者や愛好家にとっては、比較的よく知られたことだろうと思う。だが、資料の保存・研究とならんで展示公開にも重きを置く文学館や記念館とは違って、大学図書館は学内者の利用に供することを第一の目的とするものだから、一般の方々にもその存在を広く知っていただき、さらには実際にご覧になって鴎外への親しみを深めてもらう機会が限られてしまうのは、どうしてもやむをえないことである。しかるに、このたび鴎外の生誕百五十周年を記念した特別展が行われ、貴重な書籍の数々が展示されるはこびとなったのは、心から嬉しいことと思う。周知のことばかりで恐縮だが、ご覧になられる方々に少しでも興を添えていただければと、ここに鴎外文庫と今回の展示のあらましを簡単に申上げておきたい。

 大正11年7月に森鴎外が他界したあと、観潮楼と呼ばれる千駄木の鴎外邸と、房州日在の別荘とに分蔵されていた蔵書が、当時の東京帝国大学に寄贈されたのは、大正15年のことであった。それより以前、大正12年の関東大震災による火災で数十万冊におよぶ蔵書を失った図書館には、紀州徳川侯爵家の徳川頼倫から譲られた南葵文庫をはじめ、内外より多数の書物が寄贈されていたが、鴎外の遺蔵書もまた、図書館復興のために遺族の手から贈られたのであった。鴎外の長女、茉莉の夫で、寄贈にあたって直接の労を執った仏文学者の山田珠樹によれば、鴎外自身は長男の於莵と山田、そして親交のあった漢学者の吉田増蔵に蔵書を分け与えるよう遺言したとのことだが、蔵書の分散を惜しんだ山田が一括しての寄贈を提案したらしい。ただし、そのころ編纂中だった全集の資料として、与謝野鉄幹の手もとに移っていた著作や自作掲載雑誌等、遺児たちが用いていた辞書類、また鴎外生前の約束で義妹に贈られた明治文学関係の書物だけは、寄贈から除かれたとのことである(「鴎外文庫寄贈顛末」、『小展望』、六興商会出版部、昭和17年12月)。
 かかる遺族の厚意によって、鴎外の旧蔵書は大部分が当館に架蔵されることになったわけだが、しかしながら当時の図書館は、寄贈書をそれぞれまとめて管理するのではなく、館内の分類基準に従って整理する方針を取っていた。そのため、鴎外旧蔵書も中村不折筆の「鴎外蔵書」という印が押されたのみで、各分類の書架へとばらばらに収められたのである。しかも、『鴎外文庫目録』「和漢書之部」「洋書之部」という二冊の冊子目録こそ残されてはいたが、「非常に簡略な情報を示すのみで、書誌情報も所在情報も十全とは言い難かった」(江川和子「鴎外文庫書入本データベースの公開について」、『文学』平成19年3月)。すなわち、鴎外文庫は名前こそ存在するものの、その全貌はきわめてつかみにくい状況にあったわけである。
 もちろん、これまでにも学内外の研究者や図書館関係者によって、何度か調査は行われてきた。しかしながら、このように基礎的情報に不備があったこともあり、いずれも文庫の全容を明らかにし、さらには小堀桂一郎が「鴎外の蔵書がそのまま「研究資料」であるという所以は(中略)その蔵書中への書き込みにある」(「鴎外文庫のこと」、『比較文学研究』昭和42年4月)とする、自筆の書入れを総体的に調査するにはいたらなかった。そこで当館は、平成17・18年に日本学術振興会科学研究費補助金(研究成果公開促進費、課題番号178049・188017)の交付を受けて、資料の別置と書入れ状況の悉皆調査、書誌目録データベースの作成、および書入本画像データベースの作成を開始した。先に示した江川和子の文章は、その中間報告にあたるものであるが、このプロジェクトは同補助金の交付が終了したあとも、附属図書館および当時の情報基盤センター図書館電子化部門の協力によって継続され、平成21年度をもって完了した。
 五年にわたるこのプロジェクトでは、総合図書館書庫内に架蔵・保管されている書籍をほぼ網羅的に調査し、寄贈時に押された「鴎外蔵書」の朱印の有無によって、鴎外旧蔵書の特定を試みた。しばしば誤解されるので、ここにあらためて記しておくが、この印は寄贈者を示す図書館側の資料となるもので、鴎外自身が用いた蔵書印ではない。プロジェクトチームはこの印記を手がかりに、冊子目録に漏れていた書籍まで可能なかぎり拾い集めたうえで、全点、全ページを視認し、書入れの有無を調査票に記録した。鴎外筆とは認めがたい書入れについても、あえて「極力現状を記録することに努めた」のは、江川の記すとおりである。
 さらに、この調査の結果から重要と判断された書入れおよび自筆本については、ウェブ上で閲覧できる画像データベースを作成した。和書212点、洋書57点の合計269点を掲載するこのデータベースには、書誌情報とともに解題が附されており、一部は今回の展示にも利用されている。スペースの都合で展示できなかった資料や、あるいは参考文献を含むより詳細な解題が示されているので、ぜひご覧いただきたい。
(URL=http://rarebook.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/ogai/index.html

 鴎外文庫の正確な全貌は、このプロジェクトによってはじめて明らかになったと言えるだろう。およそ一万九千冊にもおよぶその蔵書中には、儒学・中国文学などの漢籍や仏書から、江戸明治期の文芸作品、歴史小説・史伝に用いられた資料を含む史書、厖大な武鑑と江戸期の地図、軍事・医学関係書、そしてドイツ語を中心とする洋書にいたるまで、きわめて幅広い分野の書物を見ることができる。そのなかには、従来紹介されたことのない史伝関係の資料も見つかったし、生涯にわたって作成された自筆ノート類が相当数含まれていたのも驚きであった。とりわけ、書中に施された無数の書入れからは、鴎外が作品を鑑賞し、知識を身につけ、自身の文学へと昇華させてゆく過程をまざまざとうかがうことができた。
 今回の展示では、この成果を受けて、鴎外文庫のすがたをこれまでとは異なる新しい切口で紹介することを試みた。
 まず「若き鴎外」のコーナーでは、おおむねドイツ留学からの帰国(明治21年)以前に作成された自筆ノートや、読書時の書入れを紹介した。文壇デビュー以前の足跡を物語る貴重な資料が多く、特に医学生や軍人としての横顔が垣間見られるのが興味深い。
 続いて「家族と友人」のコーナーには、親しい人々との交流をうかがわせる資料を集めた。『宗旨雑記』の裏貼りに用いられた、明治32年から35年までの小倉時代に東京の母に宛てて送られた手紙からは、家族に寄せる鴎外の愛情が伝わってくる。また、夏目漱石や幸田露伴の作品を雑誌から切抜き、丁寧に製本してある特徴的な数冊には、同時代の作家たちに対する意識をうかがうことができる。
 「知識の沃野」のコーナーでは、知の巨人、鴎外の広汎な読書歴が実感できるように、なるべく多彩で、かつ従来あまり知られていなかった資料を選んだ。歴史、仏教、医学といった周知の分野だけにとどまらず、法律や漢字、音楽、礼法、織物など、多方面に広がるその興味には驚かされるばかりである。
 そして「作品の原点」のコーナーでは、主として歴史小説や史伝に活用された資料、また訳詩集『於母影』などの翻訳に用いられた原本を紹介した。『渋江抽斎』執筆のきっかけとなった、抽斎の蔵書印が押された『武鑑』も、作品の背景を物語る資料として貴重である。

 鴎外文庫の最大の特徴は、単に鴎外の作品を考えるうえでの資料を提供してくれるのみならず、人間鴎外の実像と、その知の歩みとを鮮やかに甦らせてくれるところにある。多くの書籍が揃いの柿色表紙と自筆題簽とを附して改装され、しかも上部を化粧裁ちする際、書入れ部分だけを丁寧に切り残してあるあたりには、いかにも几帳面な彼の性格があらわれているし、また少なからぬ全丁自筆の写本からは、書物にかける熱意がうかがわれるだろう。現在、書庫の片隅にまとめて別置されている鴎外文庫のなかには、まぎれもなく鴎外その人がたたずんでおり、わたくしたちはその書物に触れることで、彼の息づかいや思いを感じ取ることができるのである。今回展示できた資料は、文庫全体からすればあまりにもわずかだが、そうした鴎外文庫の魅力に少しでも触れていただければ幸いである。

東海大学文学部講師
出 口 智 之 

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