書家として名を知られる市河米庵(1779-1858)が父・寛斎の死後に編集した遺稿詩集。展示箇所の「文安先生像」というのは寛斎の肖像画で、「文安先生」とは寛斎の諡名である。 なお、『陸詩考実』の2・3冊目には版心に「米庵墨談」と記された罫紙が使われている。米庵が著書『米庵墨談』を刊行したのは文化9年(1812)で、寛斎64歳の時にあたる。『陸詩考実』の書写年代を考える上で参考となろう。