資料解説
資料解説の一部は伊藤節子氏(元国立天文台)と平岡隆二氏(長崎歴史文化博物館)にご協力いただいた。無記名の解説は中村士による。
所蔵機関名表示のないものは、東京大学総合図書館所蔵である。
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東京天文台台長の寺尾寿と対立して明治44年(1911)に天文台を追われた一戸直蔵は、標記のようなタイトルの科学啓蒙雑誌を1913年に刊行した。英国の著名な『ネイチャー』、米国の『サイエンス』をモデルにした高級な科学雑誌を意図していた。各分野の代表的科学者が原稿料なしで執筆している。しかし当時の日本にはこのように専門性の高い科学雑誌を受入れる素地がなく、経営的には相当に苦しかった。一戸は雑誌作りのほとんどを一人で行なったという。そうした苦難の積重なりが原因か、1920年に肺結核で死亡した。雑誌は大正11年(1922)の第10巻まで発行されている。
『現代之科学』の廃刊後、昭和6年(1931)に、岩波書店から石原純を編集主任とする科学雑誌『科学』が刊行された。石原は相対性理論に関してアインシュタインと共同研究を行なった東北大学の物理学者であるが、私生活上の非難を浴びて1921年に大学を辞職させられた。石原は『科学』の創刊号(4月)の巻頭言「創刊の辞」において、一戸の『現代之科学』について言及している。