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世界天文年2009によせて  展示資料一覧

資料解説
資料解説の一部は伊藤節子氏(元国立天文台)と平岡隆二氏(長崎歴史文化博物館)にご協力いただいた。無記名の解説は中村士による。
所蔵機関名表示のないものは、東京大学総合図書館所蔵である。

35 父乃書斎
寺尾新「寺尾寿」、三省堂、1943年

昭和15年(1940)8月から、雑誌『書斎』(三省堂書店の広報誌)に「父の書斎」と題する随想が連載されるようになった。明治、大正、昭和にわたって各界の文化を大きく躍進させた"大先覚者"について、それぞれの子が思い出話を語っている。この連載は昭和18年2月まで続いた。本書はその中から、当時故人になった人々だけを抜粋してまとめたものである。有島武郎、上田敏、岡倉天心、白鳥庫吉、夏目漱石、森鴎外、与謝野寛、ら各界の錚々たる33人が紹介されている。また、末尾には、各人とそれを書いた執筆者の略歴が組になって記されている。

その中に、寺尾寿について、長男寺尾新(水産動物学者)が書いた記事が見える。東京天文台、星学科教室が草創された頃の麻布飯倉の状況は余り他に記述がないので、以下に寺尾新の文章の一部を引用する。

「東の方には、谷を隔てて芝の丸山が、蒼黒く南に向かって突出している。その南端から、遠く品川の海が霞んで、いくつかのお台場が附木を浮かべたように見える。・・・丘の手前に広く拡がっている低地には、大小さまざまの家屋がゴチャゴチャ並んでいる。麻布の高台の東端、飯倉町三丁目に在る東京天文台の敷地は、このような場所だった」。「この敷地の東はずれに、凹字型の日本風の平屋があって、そこが私達が住んでいる家屋だったが、この平屋の西端に西洋風の中二階が接続して居り、・・・その北側と西側の壁は、黒く塗り込んであって、黒板の代わりとなっていた。東の三分の一が父の書斎、西の三分の二が講義室、中二階の西に連なる平屋は、天文学を専攻する学生の寄宿舎だった。父は、この講義室で講義をすることもあったが、他の学生と一緒の講義をするため、本郷の帝大へ出掛けることもあり、天文台敷地の西寄りの観測室や事務室へ出掛け、その中の台長室に、殆ど一日中籠っていることもあった。・・・本郷の大学構内の官舎五番館から、この麻布へ移転して来たのは、私の生れた翌年即ち明治廿一年のことで、約廿年間、私達一家はこの麻布で暮らしていた」。「隣の講義室には、講義したままの白墨の痕が生々しく残っていることもあった。・・・或日、壁面一杯に数学式が書いてあるのを見て感動した。式の長さは三メートル以上にも達していたろうか。わらびの昼寝などと積分の記号を呼ぶことは高等学校に行ってから知ったことだが、確かにそのわらびの昼寝も三本づつ、幾箇所にも並んでいる。下駄の歯のような記号もある」。
[3本のわらびの昼寝とは、数学の三重積分記号、下駄の歯は総積記号のことである]

【参考】再刊本、『父の書斎』(筑摩叢書No.334、筑摩書房,1989)


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