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世界天文年2009によせて  展示資料一覧

資料解説
資料解説の一部は伊藤節子氏(元国立天文台)と平岡隆二氏(長崎歴史文化博物館)にご協力いただいた。無記名の解説は中村士による。
所蔵機関名表示のないものは、東京大学総合図書館所蔵である。

29 ペリー艦隊日本遠征記
United States Japan expedition
Washington : Beverley Tucker, Senate Printer, 1856. 3 v.

米国海軍長官から東インド艦隊司令長官に任命された58歳のペリー提督は、鎖国日本との和親条約を締結すべく、旗艦ミシシッピ号に乗船し1852年11月24日に米国東海岸を出航した。喜望峰を回って途中香港に寄航し、浦賀沖に到達したのは1853年の7月8日だった。ペリーは江戸幕府との和親条約を1854年3月に締結して帰国した後、条約締結に至る経緯を述べた報告書を議会に提出した。ペリーはこの使節を引受けた時、この遠征航海と日本側との交渉を、単なる政治外交上の出来事に終わらせずに、未知の世界の学術的報告として広く世界に伝えたいと考えていた。その目的のために十分な準備期間を取り、海軍関係者以外に、画家、銅板写真技師、ペリー自身も造詣が深かった植物学の学者などを同行したのである。その結果、主要部分である第1巻は客観性を意図して歴史家ホークスに編集・執筆を依頼し、第2巻は各地の農業、植物、鳥類、魚類を記録し、また第3巻は航海中に観測された黄道光の報告にあてられた。黄道光とは、春分頃の日没後の西空、秋分頃の明け方前の東空に、黄道に沿って舌状に伸びる淡い光の雲である。発見されたのは1683年だが、18世紀前半まで太陽自身の広がった大気と考えられた。ペリーの時代にも、まだその正体はよく分からなかった。黄道光の観測が当初のペリーの計画に含まれていたかどうかは不明だが、この報告を書いたのは、天文学に詳しい米国海軍従軍牧師のジョージ・ジョーンズ(George Jones)である。第3巻の副題には、「1853年4月2日-1855年4月22日、主に蒸気フリゲート艦ミシシッピ号艦上で実施。東方海域における先の航行と帰途の航海およびそこから得られたデータに基づく結論を含む」とある。変形A4版という大判報告書の特性を生かして、見開き2頁に1晩の黄道光の観測を記述した。右頁は空を黒色で示した星図の上に、いくつかの時刻に対応する黄道光の強度等高線(中心部の明るい成分と淡い周縁部の2成分)が描かれ、左頁には日付、観測点の経緯度、日の出の時刻と観測時刻が記されている。上記の期間に対して、全部で352葉の図版が含まれる。

【参考】『ペリー艦隊日本遠征記』全3巻(栄光教育文化研究所,1997)

ペリー艦隊日本遠征記
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