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世界天文年2009によせて  展示資料一覧

資料解説
資料解説の一部は伊藤節子氏(元国立天文台)と平岡隆二氏(長崎歴史文化博物館)にご協力いただいた。無記名の解説は中村士による。
所蔵機関名表示のないものは、東京大学総合図書館所蔵である。

22 六分円器量地手引草
村田佐十郎恒光編、刊本1冊、嘉永6年(1853)序
(印記)「川北氏蔵書」

1731年頃、英国と米国でほぼ同時にオクタント(八分儀)と呼ばれる近代的な天文航海用具が発明された。1757年には、オクタントを改良したセキスタント(六分儀)が出現した。日本では、三浦梅園が安永7年(1778)に長崎でオクタントを見せられたのが初期の記録である(『帰山録』)。また、オクタント、セキスタントの原理と使用法をめぐって、高橋至時らが頭を悩ませた記事が『星学手簡』に見える。これらは本来遠洋航海で太陽、月、星の高度測定に用いる天文観測装置であるが、我が国では鎖国政策のために外洋で使用する機会がなかった。そのため日本人は、オクタント・セキスタントの欠点とされた2枚の鏡による像のずれを逆手に取って、地上の測量に応用することを考えついた。「量地」とは測量を意味する。

本書の村田佐十郎恒光は津藩出身で、天文方に出仕したこともある。六分円器は六分儀である。本書の序文には、文政5年(1822)頃から、佐十郎の祖父と共に六分儀による測量に従事する機会があり、以後も継続して実施し良い結果を得た、最近、西洋の船舶砲術書を見ると、村田らの方法よりずっと簡易な測定法だけが説かれている、そこで本書を著わした、と述べている。よって、六分儀測量法は少なくとも文政の初め頃から行なわれたことが分かる。六分儀測量法はその後、江戸時代の測量術書の中で一つの分野を形成するまでになった。また、本書には、「新製六分円儀」と命名された地上測量専用の器具が図示・説明されているし、「写角簡儀」と称する近代の二重像合致式測距儀(レンジファインダー)の原型に相当する装置も作られた。これらは、当時の日本人の間では極めて稀でユニークな発明だった。

六分円器量地手引草
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