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世界天文年2009によせて  展示資料一覧

資料解説
資料解説の一部は伊藤節子氏(元国立天文台)と平岡隆二氏(長崎歴史文化博物館)にご協力いただいた。無記名の解説は中村士による。
所蔵機関名表示のないものは、東京大学総合図書館所蔵である。

15 寛政暦書
渋川景佑、山路諧孝、足立信頭、吉田秀茂による編著
写本35冊、弘化元年(1844)
<国立天文台所蔵>

寛政7年(1795)、天文方に任命された高橋至時は他の天文方や間重富と協力して、主に『暦象考成後編』に基づき「寛政の改暦」を成し遂げた。改暦は新しい暦法を採用することだから、その暦理や具体的な暦の計算法を詳細に報告するのが中国流の伝統で、寛政暦の場合もその慣習に従った。ただし、至時は文化元年(1804)に病死し、その責任を継承した長男の高橋景保はシーボルト事件で獄死、次男の渋川景佑も天保の改暦(1842)や自分の長男が関係した天保の疑獄事件に忙殺され、正式な『寛政暦書』が献上されたのは、『天文方代々記』によれば、弘化元年(1844)になってからだった。清書献上本が内閣文庫、天文方控本は国立天文台に所蔵される。

当時の天文方である渋川景佑、山路諧孝、足立左内、吉田秀茂が執筆しているが、本来の著者は至時であると言ってよいだろう。『寛政暦書』は全35巻、巻15までが太陽・月の運動と日月食、及び恒星についての暦理、巻16-18は、天文定数が時代と共にゆっくり変化するという「消長法」、巻19-25が天文儀器の図とその解説、巻26-35は、寛政暦と過去の暦および観測とを比較した諸暦合考に宛てられている。『寛政暦書』の上呈が大幅に遅れたために、巻16-18の儀象図と儀象誌は、寛政の改暦以後から天保末頃までに天文方に導入された当時最新の観測装置についても述べていて、それらの製造法や観測法を知る上で重要な史料である。

【参考】『日本科学技術古典籍資料』天文学篇2(科学書院,2000)に影印版がある。


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