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世界天文年2009によせて  展示資料一覧

資料解説
資料解説の一部は伊藤節子氏(元国立天文台)と平岡隆二氏(長崎歴史文化博物館)にご協力いただいた。無記名の解説は中村士による。
所蔵機関名表示のないものは、東京大学総合図書館所蔵である。

12 新制天地二球用法記
本木良永(仁太夫)訳、写本4冊、寛政5年(1793)
(印記)「詳證館」、「川北氏蔵書」
第1冊の内題は「星術本原太陽窮理了解新制天地二球用法記」

本木良永は通称栄之進、号は蘭皐(後に仁太夫)、諱を良永といった。本木家に養子に入った三代目のオランダ通詞で、天文学者でもあった。『天地二球用法』とタイトルが似ていて同一著者なので紛らわしいが、これとは別物である。本書の原著は、英国王室御用の数理機器商だったGeorge Adamsが天・地球儀を販売した際に添付した説明書で、原題はTreatise describing and explaining the construction and use of new celestial and terrestrial globes (1766)である。J. プロース(Ploos)が1770年に蘭訳した。本木はこのオランダ語版の翻訳を寛政3年(1791)に命ぜられ、寛政5年9月に翻訳を完成して上呈した。正式な表題は「星術本原太陽窮理了解新制天地二球用法記」であり"太陽窮理"とは太陽系のことを意味する。この言葉から分かる通り、地動説、つまり太陽を中心とした惑星系(太陽系)という概念が確立した後の天文学について解説した内容になっている。白河侯松平定信は八代将軍吉宗の孫にあたり、老中首座になった定信は西洋天文学による改暦という吉宗の悲願を実現しようと努めた。その目的のため、長崎に舶載されたこのオランダ書を翻訳させようとした。広瀬秀雄によると、松平家の史料中にはこの翻訳の進捗状況を記した文書が所蔵されている。しかし定信は、不評だった寛政の改革の責任を取らされて寛政5年7月に罷免されたから、良永の翻訳は改暦に反映されずに終わった。もっとも、本書は精密な暦法について述べた著作ではないから、定信が失脚しなかったとしてもこの本が改暦に直接役立ったとは思えない。(中村・伊藤)

【参考】杉本つとむ編『天文暦学書集』1、(早稲田大学出版部,1996)
    早稲田大学所蔵の「星術本原太陽窮理了解新制天地二球用法記」の影印本である。

新制天地二球用法記
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