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世界天文年2009によせて  展示資料一覧

資料解説
資料解説の一部は伊藤節子氏(元国立天文台)と平岡隆二氏(長崎歴史文化博物館)にご協力いただいた。無記名の解説は中村士による。
所蔵機関名表示のないものは、東京大学総合図書館所蔵である。

8 天経或問
原著:游子六編
西川正休(忠次郎)訓点本、享保15年(1730)刊
(印記)「南葵文庫」、「島田氏雙桂楼収蔵」(島田重礼)

游子六(游芸とも言う、子六は字)による原著。前集(1675年)と後集(1681年)があり、『天経或問』は一般には前集のことを指す。日本には延宝年間に輸入されたと推定される。それまでの中国天文書は大部分暦の計算方法ばかりを論じていたのに対して、本書は初等的ながら西洋天文学に基づく天文学全般を扱った一般書だった。鎖国以後、日本人が西洋天文学について最初に知った本と言ってよい。そのため、我が国では専門家から一般人にまで非常に注目された。幕末まで解説書、注釈書が出版され、多方面に影響を及ぼした。例えば、貞享暦を作った渋川春海も、本書によって太陽の近日点の移動に気づいたとされる。また、寺島良安が著わした百科辞典『和漢三才図会』の天部に引用されているし、山東京伝は「天経或問」をもじった黄表紙、『天慶和句文』を書いた。

西川正休が初めて訓点を施して出版したのが本書で、これ以後「天経或問」は我が国で広く知られるようになった。正休は本書を元に江戸で天文学を教えて暮らしていた。吉宗はこの正休に目をつけ、幕府天文方に取り立てて宝暦の改暦を行なわせた。しかし、正休は一般天文学には通じていたが、数理に基づく暦法の計算は不得意で、この時の改暦の実権は京都の土御門に奪われる結果になった。「天経或問」が説く、大地は空間に浮かぶ球体であるとする教え(球体説は南蛮天文学として既に日本にも伝わっていたが忘れさられた)は、須弥山説を信奉する仏教天文学者にも衝撃を与え、反論のため仏僧文雄の『非天経或問』などが書かれた。なお、西川正休による『大略天学名目抄』と題する書が各地に所蔵される。これは元々は、「天経或問」訓点本の附録として一緒に出版されたもので、この東京大学本でも「天経或問」と合本してある。

天経或問
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