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世界天文年2009によせて  展示資料一覧

資料解説
資料解説の一部は伊藤節子氏(元国立天文台)と平岡隆二氏(長崎歴史文化博物館)にご協力いただいた。無記名の解説は中村士による。
所蔵機関名表示のないものは、東京大学総合図書館所蔵である。

6 渋川氏記録
幕府天文方編、明和8年(1771)、写本1冊
(印記)「九段坂測量所」(黒印)、「澁川」、「河井庫太郎」

この写本は「渋川氏記録」と題されるが、内容は、明和8年(1771)正月1か月間にわたる幕府天文方の「御用日記」(公務日誌)の写しである。天文方の執務・組織形態を伝える一次史料は、きわめて断片的なものか、あるいは重要な業務記録のみを抽出・再編した「御用留」の類がほとんどで、彼らの仕事の流れや、その際作成・交換された文書等を日を追って克明に記録した史料としては、この『渋川氏記録』がまとまった形で残された現存唯一の記録であり、その資料的価値はきわめて高い。

本写本からは、当時の天文方が月番制をとっていたことなど、従来知られなかった様々な事実が明らかとなるが、その後半部のほとんどは、正月29日に急死した渋川光洪(1723-1771)の跡式を引き継ぐ養子問題で占められている。当代天文方三家の最古参であった渋川家当主の光洪には嫡男がおらず、彼の養子を迎え入れるために、関係者が火急の対応を迫られたのである。最終的に光洪の跡は、甥にあたる川口富次郎(後の渋川正清)が引き継ぐことになったが、本写本からは、この「急養子」手続きをめぐるやりとりの中で、残りの両家の当主である山路主住(1704-1772)、佐々木秀長(1703-1787)の二人がとりわけ重要な役割を担っていることが読み取れ、この問題が渋川一家にとどまるものではなく、天文方全体にとっての一大事であったことを物語っている。本写本が写しとして残されたことの背景にこの養子問題があったことは疑いなかろう。

表紙には、天保13年(1842)に本格的な業務を開始した幕府天文方観測所兼役宅であった「九段坂測量所」の黒印や、「澁川」の小印、また幕末から明治期にかけて活躍した地学者・河井庫太郎の蔵書印が捺される。(平岡隆二)

渋川氏記録
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