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世界天文年2009によせて  展示資料一覧

資料解説
資料解説の一部は伊藤節子氏(元国立天文台)と平岡隆二氏(長崎歴史文化博物館)にご協力いただいた。無記名の解説は中村士による。
所蔵機関名表示のないものは、東京大学総合図書館所蔵である。

3 授時暦議解
建部賢弘著、外題「暦議解」、写本6冊、年記欠、
(印記)「紀伊国徳川氏図書記」(紀州徳川家蔵書印)、「旧和歌山徳川氏蔵」、「南葵文庫」

元朝に王恂・郭守敬らによって作られた暦法と暦の名。1281年から1644年まで施行され、西洋天文学に基づいた時憲暦を除くと、中国固有の暦法としては最後のものだった。非常に優れた暦法だったことは、上記のように長期間使用され続けたことと、日本でも暦算家や和算家が競って研究したことからよく分かる。王恂が、暦の理論を大きく進展させた。すなわち、太陽・月の運動を記述するのに、招差法と名づけられた一種の補間法を利用したこと、赤道座標と黄道座標の間の変換を行なうのに、現代の球面三角法に近い方法を用いたこと、1日を1万分として計算の手間を省く工夫を図ったこと、などが挙げられる。一方、郭守敬の方は、観測装置と観測技術、観測データの計算処理に大きな改良を加えた。中国の暦法では最も重要視された冬至の日時を精密に決定するために、冬至の前後数週間離れた3個の観測データに補間法を適用して成功をおさめた。更に、1年の長さが時代と共にゆっくり変化するという「消長法」を採用したことも大きな特徴であった。

このため、本書の建部賢弘(関孝和の高弟)の外にも、我が国の主要な和算家たち、関孝和、中根元圭、安島直円、及び天文暦学家である高橋至時、西村遠里、本田利明らが皆それぞれに授時暦に関する著作を著している。渋川春海による貞享暦の理論も、主要部分は授時暦そのものと言っても過言ではない。授時暦は「授時暦議」と「授時暦経」の二部に別れ、前者が授時暦の数理も含めた総論を論じているのに対して、後者は天文学的内容を扱っている。(中村・伊藤)
【参考】薮内清・中山茂『授時暦-訳注と研究-』(アイ・ケイコーポレーション,2006)
    「授時暦議」の読み下し文と解釈を載せている。

授時暦議解
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