日本における最初の本格的な西洋解剖書の翻訳書。日本で初めてのこの翻訳事業の中心になったのは前野良沢と杉田玄白で、中川淳庵・桂川甫周ら多くの人々が協力した。
一般に『ターヘル・アナトミア』とよばれている原書は、正しくは、ドイツのクルムスJohann Adam Kulmusが1722年に著した『解剖図譜』Anatomische Tabellenを、ライデンのディクテンGerardus Dictenがオランダ語訳した『Ontleedkundige Tafelen』(1741)で、杉田玄白らが依拠したのはその第2版であった。図譜は小田野直武が描き、原書は銅版であるが、本書は木版である。付図の数は原書よりやや多く、クルムスの原書にはない図譜もあり,他のいくつかの西洋解剖書からも引用していることが知られている。
しかし,杉田玄白はその出来ばえに必ずしも満足ではなく,高弟の大槻玄沢にその改訂を命じた。大槻玄沢が改訂したものが『重訂解體新書』である。