昭和6(1931)年に土肥慶蔵が66歳で亡くなると、彼の妻が三井財閥の出身だったこともあり、同年末に三井家が蔵書を購入しました。その後これらの整備が進められ、昭和14(1939)年には目録が完成し、三井文庫内の一文庫として扱われるようになります。しかし戦中・戦後のさまざまな影響を受け、幸いにも戦火による焼失は免れましたが、この鶚軒文庫は各所に分散してしまうことになります。 東京大学総合図書館がこの鶚軒文庫を入手した経緯は、現在のところ不明です。しかし、前出『鶚軒文庫所蔵目録』のうち「第七門 医学・本草」にあたる資料が欠けることなく所蔵されています。その数は1544部4618冊にのぼり、うち約60部が貴重書として指定されています。これらは和漢医学や医史学が主ですが、いわゆる遊郭の吉原や遊女に関する資料なども含まれており、貴重な資料群として利用されています。 この他、国立国会図書館には「第六門 文学・語学」の漢詩文にあたる資料が所蔵されています。おもに、江戸時代から明治初年にかけて作られた、日本人による漢詩文集7898冊です。昭和25(1950)年に三井文庫より購入したもので、「鶚軒文庫」という括りで利用に供されています。また、東京医科歯科大学附属図書館には、戦前三井文庫より購入した洋書1805冊と和書440冊が所蔵されていて、洋書の多くはドイツ語で、皮膚科や泌尿器科、性病などに関する医学書が中心です。さらに、カリフォルニア大学バークレイ校にも2万8000冊の鶚軒文庫があり、それらはやはり昭和25(1950)年に三井文庫から買い受けたものです。 なお、現在の三井文庫に鶚軒文庫はほとんど所蔵されておらず、総合図書館を含めこれら各所で土肥慶蔵の蔵書は生き続けています。 |