草双紙(赤本・黒本青本・黄表紙・合巻)


20 夕霧阿波の鳴門 A00-霞亭591

 作画者不明。刊本、中本全1巻1冊(5丁)。刊年不明。絵外題簽(墨摺)、左肩子持枠「夕霧阿波の鳴門」。柱題「夕きり」。版元「山本小兵衛」(絵題簽の商標「山」による)。赤本は草双紙の初期の形態で、赤い表紙を付けることからの名称。「桃太郎」や「舌切れ雀」などのお伽噺、合戦物、祝儀物、演劇物などに分けられ現存するものは非常に少ない。本作は演劇物。

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21 子子子子子子 E24-1310

 鳥居清倍または鳥居清満作画。刊本、中本全2巻2冊(10丁)。 原題簽(色付)、左肩子持枠「〈新版/助読〉子子子/子子子 上(下)」、脇絵題簽(墨摺)双辺「子子子/上(下)」。柱題「せつしう」。奥目録「寅正月/新版/目録/絵師鳥居清倍/鳥居清満(書名等略)/鱗形屋孫兵衛」。外山高一旧蔵。本作は宝暦8年(1758)に鱗形屋孫兵衛より刊行された黒本で、室町時代の画僧雪舟の逸話が書かれた一代記物。黒本は表紙の色による名称で、赤本に次いで現れた小冊子である。赤本の丹の価格が高騰したため、代わって墨色が使用されるようになったという。青本は黒本よりやや遅れて出現したといわれる。これも表紙の色からの名称とされるが、現存する青本の表紙は黄表紙と同じで、藁色の表紙を付ける。なお、一つの作品が黒と青の両表紙で刊行されることも間々あった。


22 南陀羅法師柿種 A00-霞亭618

 朋誠堂喜三二作、恋川春町画。刊本、 中本全2巻2冊(10丁)。原題簽(色付)、左肩単辺「南陀羅法師柿種 上(下)」、 脇絵題簽(彩色摺)、単辺「南陀 上(下)」。替表紙。 柱題「なんだら」。安永6(1777)年刊、鱗形屋孫兵衛版。印記「霞亭文庫」「真印子蔵書記」。「なんだ」と問われて適当に「なんだらぼうしのかきのたね」と答えて茶化すという、当時の流行言葉をそのまま書名としている。天竺の法師南陀羅は柿の種の効力で絵描きとなり、日本へも渡る。修行と称して吉原などで遊ぶ南陀羅に、柿の種が仏道に精進すべきことを悟らせる、書名に因んだたわいない話と作者は落ちをつけている。黄表紙とは表紙の色からの名称であるが、青本と同体裁(藁色表紙)で今に残っている。 文学史では、安永4年刊、恋川春町作画の『金々先生栄花夢』以降、文化3(1806)年までの草双紙作品を黄表紙と称している。『金々先生栄花夢』は謡曲『邯鄲』を翻案し、吉原を舞台とて時代を当代に取ったで、これまでの子供向けであった草双紙とは一線を画すことになった。

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23 三筋緯客気植田 A00-霞亭653

 山東京伝作、北尾政演(京伝)画。刊本、中本全3巻3冊(15丁)。自序。原表紙、絵外題簽、左肩双辺「〈新/版〉三筋緯客気植田 上(中・下)」。序題「三筋緯客気植田自叙」。柱題「きうへだ」。天明7(1787)年刊、蔦屋重三郎版。印記「霞亭文庫」。洒落本の黄表紙化ともいえる作品で、遊里における遊客3人それぞれの滑稽な様が描かれる。遊客3人を上田(植田)縞に見立て、信州上田地方産の上田縞(紬)は羽二重織に見えて横糸3本(三筋緯)織で目が荒く、丈夫そうに見えて弱い、さらに艶が無いのに安っぽく光ると京伝は序で述べている。


24 殺生石後日怪談 E24-342

 曲亭馬琴作。渓斎英泉画(5編下帙は歌川国安画)。刊本、中本全5編3冊。初編13丁、2〜5編各40丁。版元、山口屋藤兵衛。摺付表紙、口絵有。展示本のうち3・4編は初版体裁本(初版は文政7〜天保3年(1824-32)刊行)で、初・2・5編は後刷本(天保4年以降刊行)。森鴎外旧蔵で、鴎外自身の手により白表紙が付けられ、全5編を3冊に分冊する。白表紙の打付外題も鴎外の自筆で、表紙を開くと鴎外の蔵書印がある。本作は殺生石の妖狐談に取材した善悪邪正の対立の姿を綴り、結局はめでたしめでたしで終わる物語。読本作者として著名な馬琴が、合巻と読本の中間的スタイル(文章のみで挿絵のない丁があり、また初編は43丁で体裁が異なる)を試み、その最初に著した長編合巻として注目される。展示本の摺付表紙は初版形態。合巻は、草双紙の内容の長編化にともなって5丁を1冊とする分冊形式が解消され、数冊を合綴して1冊としたものだが、5丁1冊の基本的単位は変わらない。文化4年(1807)以降に刊行されたこのような草双紙を、文学史上、合巻という。翌5年以降は絵題箋の貼られたこれまでの表紙から、錦絵摺の美麗な摺付表紙へと体裁が変わる。 摺付表紙の合巻は袋入で発売された。展示本の表紙、口絵、挿絵、袋などから江戸庶民が合巻を享受した姿が想像される。


25 偐紫田舎源氏 E24-844・E24-536

 柳亭種彦作、歌川国貞画。刊本、中本全38編(各編4巻2冊20丁)。文政12〜天保13年(1829-42)刊。版元、鶴屋喜右衛門。印記「青洲文庫」「岡村図書」。 全編摺付表紙、 口絵有、袋付。 本作は草双紙の頂点を極めた作品で、江戸時代きっての大ベストセラー。紫式部の『源氏物語』を翻案したもので、1万数千部が発売された。ただし、諸本が多く残る中で、初版と推定されるものは希少。天保13年から始まる天保の改革の取締により、6月には絶版処分され、38編で刊行中止となった。なお種彦も同年病死とされている。本作が後年に及ぼした影響は大きく、取締が緩むと続編や類書が次々刊行され、「源氏絵」と呼ばれる錦絵が流行し、歌舞伎化もされた。展示本は初版で、国貞画の美しい摺付表紙、裏表紙や袋の趣向、薄墨の色版が入る口絵などに、当時の婦女を騒がせた人気のほどが偲ばれる。

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26 白縫譚 E24-972 E24-1183 A00-4141

 柳下亭種員、笠亭仙果、柳水亭種清共作。3世歌川豊国、2世歌川国貞、歌川芳幾、豊原国周、守川周重、揚洲周延画。刊本、中本71編。展示本は、中本71編(各編4巻2冊20丁)の刊本と、笠亭仙果の草稿33編上および43編上下からなる。刊本は、嘉永2〜明治18年(1849-85)刊。版元、蔦屋吉蔵。印記「青洲文庫」。全編摺付表紙、口絵有、袋付。展示本は全90編といわれているが、刊行は71編まで。72編以降は現在のところ存否不明。幕末から明治の中頃にかけて刊行された一大長編小説で、数人の作者により書き継がれ、絵師も複数に亘っている。黒田家のお家騒動と天草の乱の実録を基底に、『女仙外史』の妖相を取り入れた幕末ベストセラーの一書。展示本は初版の後刷本。草稿本の33編上は中本1冊(本文10丁、表紙4丁)体裁で、種員の遺稿を仙果が校正したもの。序記名にある「校者/柳亭種彦述」とは、当時2世種彦を名乗っていた仙果のことである。 草稿本の43編は中本2冊(上冊本文8.5丁表紙4.5丁、下冊本文10丁表紙4丁)体裁。上冊では序文と口絵の1丁がまだできていない。