その他


 

狂歌・狂文

76 卜養狂歌集 A00-4285

 半井卜養著。菱川師宣画。刊本、大本2冊。刊年不明。2冊とも後補書題簽「卜養狂歌集 上(下)」。中央上に題簽剥落の跡があり、上冊は見返に原題簽を貼付、双辺「新板卜養狂歌[上]」([ ]内は補筆)。内題「卜養狂歌集」。上冊22丁、下冊15丁。刊記「柏屋与市」。印記「南葵文庫」「江戸四日市珍書僧達磨屋五一」「坂田文庫」(坂田諸遠)等。初版とされる松会版を柏屋が覆刻し、上冊末尾と下冊冒頭とに分断された狂歌1首を減じたもの。別版の柏屋版・鱗形屋等の半紙本があるが、それらの本文は本書のような大本の本文の最終形態を踏襲したものという。展示本の上冊は本来21丁であったが、旧蔵者によって本文に大きな異同のある異版の最終丁が綴じ込まれている。


77 江戸花海老 A00-霞亭1130

 大田南畝著。吉田蘭香画。刊本、小本1冊。天明2年(1782)11月、自序。天明2年10月、成田屋七左衛門(5世市川団十郎)序。平秩東作跋。天明2年11月、一文字白根跋。原題簽、左肩双辺「〈市川/贔屓〉江□□□□(大東急文庫蔵本によれば「江戸花海老」)」。内題「〈市川/ひいき〉江戸花海老」。23丁。刊記「神田鍋町西横町/本屋清吉」。印記「小仁蔵本」「霞亭図書」「小栗之印」(小栗仁平)等。この年江戸中村座の顔見世で、団十郎の5歳の息子徳蔵が海老蔵と改名、「いせ海老あかん平」の役名で『暫』を演じるのを祝して刊行された。海老蔵の荒事の噂を聞きつけて乙姫は何か祝いを遣わしたいと望み、江戸では狂歌が大流行との進言をうけて、竜王乙姫親子以下総勢40名の魚等が狂歌を詠むという趣向。爆発的出版ブームの前夜、狂歌熱が最高に盛り上がっていた狂歌界の情勢を伝える好資料。


77 江戸花海老 A00-霞亭1130

 大田南畝著。吉田蘭香画。刊本、小本1冊。天明2年(1782)11月、自序。天明2年10月、成田屋七左衛門(5世市川団十郎)序。平秩東作跋。天明2年11月、一文字白根跋。原題簽、左肩双辺「〈市川/贔屓〉江□□□□(大東急文庫蔵本によれば「江戸花海老」)」。内題「〈市川/ひいき〉江戸花海老」。23丁。刊記「神田鍋町西横町/本屋清吉」。印記「小仁蔵本」「霞亭図書」「小栗之印」(小栗仁平)等。この年江戸中村座の顔見世で、団十郎の5歳の息子徳蔵が海老蔵と改名、「いせ海老あかん平」の役名で『暫』を演じるのを祝して刊行された。海老蔵の荒事の噂を聞きつけて乙姫は何か祝いを遣わしたいと望み、江戸では狂歌が大流行との進言をうけて、竜王乙姫親子以下総勢40名の魚等が狂歌を詠むという趣向。爆発的出版ブームの前夜、狂歌熱が最高に盛り上がっていた狂歌界の情勢を伝える好資料。


78 南畝帖 E26-1184

 大田南畝著。中山孔寅画。刊本、大本1冊。原題簽、左肩双辺「南畝帖」。37丁。刊記「三都発行書林/江戸日本橋通南壱丁目/須原屋茂兵衛/同浅艸茅町二丁目/須原屋伊八/同日本橋通二丁目/山城屋佐兵衛/同芝神明前/岡田屋嘉七/同日本橋通二丁目/小林新兵衛/同本石町十軒店/英大助/同中橋広小路/西宮弥兵衛/同日本橋通四丁目/金花堂佐助/京都寺町通松原下ル/勝村治右衛門/大阪心斎橋通北ヱ二丁目/秋田屋太右衛門」。印記「青洲文庫」(渡辺青洲)。南畝の没した翌年の文政7年(1824)に、生前交遊のあった大坂の彫師谷清好が南畝の詩歌帖を私家版として版行した『清好帖』を原版とし、それを秋田屋太右衛門が求板して刊行したのが本書である。原版にあった加茂季鷹による序と、南宮氏・谷清好による跋は削除されている。本書に見えるような蜀山流の筆跡は、近代に至るまで多くの追随者を生んだ。

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79 狂文あづまなまり E22-9

 宿屋飯盛(石川雅望)著。刊本、半紙本2巻2冊。文化10年(1813)7月、東夷庵古渡序。原題簽、左肩無枠「〈狂/文〉あつまなまり 上(下)」。内題「狂文吾嬬那万俚」。尾題「あつまなまり」。上冊43丁、下冊53丁。無刊記だが、裏表紙内側に「東都書林/日本橋通壱丁目/須原屋茂兵衛」の目録がある。印記「本居蔵書」(本居内遠)。初版は序文に見えるように、角丸屋甚助版。天明から文化(1781-1818)にかけて書かれた狂歌集の序など、雅望の狂文88編を収録する。和文体の狂文は俳文の後を受け、狂歌の流行と共に大田南畝らによってジャンルとして成立しつつあったが、本作は様々な内容を和漢の故事を引きつつ雅俗にわたる文体で表現し、狂歌や読本、国学など多彩なジャンルに才能を発揮した雅望の面目を施す作といえよう。表紙には「五老」と号し、狂歌連「五側」を率いた著者を象徴する篆書の「五」の文字が空摺りされている。



 

随筆・日記・絵本

80 骨董集 A90-250

 山東京伝著。刊本、大本3巻4冊(上編前帙2冊、同後帙2冊)。文化10年(1813)冬、大田南畝序。書題簽「骨董集」。内題「骨董集」。上巻26丁、中巻34丁(以上上編前帙)、下巻前冊32丁、後冊36丁(以上同後帙)。刊記「文化十一年甲戌冬十二月発行/書林/大坂心斎橋筋伝馬町/塩屋長兵衛/江戸通油町仙鶴堂/鶴屋喜右衛門梓」(中巻)、「文化十二年乙亥冬十二月発行/書林/大坂心斎橋筋伝馬町/塩屋長兵衛/江戸通油町仙鶴堂/鶴屋喜右衛門梓行」(下巻後冊)。印記「渡辺蔵書」。近世の風俗・風習などに関する、事物の起源や沿革について考証した書。中巻巻末に骨董集上編後帙・中編二帙四冊・下編二帙四冊・雑劇考、下巻後冊巻末に骨董集・童話考・山東漫録・勧懲記・和漢印章考・雑劇考等の近刻目録を載せる。本書の初版本は「江戸丁子屋平兵衛」版、展示本は鶴屋喜右衛門の求版本。

81 還魂紙料 A00-洒竹676

 柳亭種彦著。刊本、大本2巻合1冊。自序。書題簽、左肩「還魂紙料/上下合/完」。内題「還魂紙料」。尾題「還魂紙料」(上巻のみ)。上冊33丁、下冊26丁。刊記「文政九年丙戌冬十二月発行/京都書林/堀川通仏光寺下ル町/上村藤右衛門/大坂書林/心斎橋筋唐物町/河内屋太助/江戸書林/通町/鶴屋喜右衛門/馬喰町二丁目/西村屋与八」。印記「洒竹文庫」等。風俗・芸能などに関する事物や言葉について考証した書。展示本見返に貼付の袋には「柳亭随筆/還魂紙料/二冊/僊鶴堂/永寿堂/合梓」とある。また下巻巻末には、「還魂紙料二編二冊/ふる元結二冊/俳諧古道具初編三冊」との近刻目録が載る。

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82 馬琴日記 A00-4613

 曲亭馬琴著。写本、大本1冊。後補題簽、左肩単辺「〈天明/五年〉馬琴日記」。原本共紙表紙に外題打付、中央に「天保五年/甲午日記/正月吉日」と大書。166丁。巻頭の日付は「○天保五甲午春正月(略)元日丁卯」、巻末は同年12月30日庚申の記事で、「巳上午年日記畢」と結ぶ。月の変わり目ごとに柱の上部に薄丹色短冊型小紙を貼り「正月」などと記す。裏表紙には「神田/滝沢」と大書。かつて東大図書館には、天保2年(1831)・同5〜14年(1834-43)・弘化元〜3年(1844-46)の14年間分の馬琴日記が所蔵されていたが、関東大震災で焼失、現存するのは展示本のみ。

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83 絵本雪月花 F30-317

 西川祐信画、多田南嶺著。半紙本3巻3冊。南嶺自序。全冊後補題簽「絵本雪月花」。内題「絵本雪月花」。上冊12丁、中冊11丁、下冊13丁(うち広告1丁)。刊記「明和五年子正月吉日/京都書林/寺町松原下ル/菊屋喜兵衛求版」。三条西実隆、宗祇らの和歌、芭蕉や団水、淡々らの発句、油煙斎貞柳の狂歌など引用し、それぞれの場面を絵画化したもの。版元菊屋は祐信絵本の版木を多く求め、次々と後印本を版行した。巻末に祐信絵本34作を含む菊屋の「絵本類書目」1丁を付す。



 

国学

84 賀茂翁家集 E22-175

 賀茂真淵著。村田春海編。刊本、大本5巻5冊。享和元年(1801)10月、加藤千蔭序。寛政3年(1791)11月、春海例言。原題簽、左肩単辺「賀茂翁家集 一(〜五)」。内題・尾題とも題簽に同じ。第1冊35丁、2冊25丁、3冊37丁、4冊41丁、5冊34丁。刊記「文化三年丙寅年七月刻成/東都書林/本石町四町目/堀野屋仁兵衛/本銀町三町目/前川弥兵衛/大伝馬町二町目/大和田安兵衛」。印記「南葵文庫」、「やすむろ」「東洲文庫」(小中村清矩)。没後37年目に刊行された真淵の代表的歌文集。巻1・2に和歌・長歌、巻3・4に序跋を含む雑文、巻5に紀行を収める。序に真淵の歌風の三遷が指摘されているが、晩年には自らが奉ずるところの万葉調に落ち着いたとされている。編者の春海と序者の千蔭はともに真淵門下で、江戸派の祖とされ、主に歌文の方面で師の衣鉢を継いだ。


85 古事記伝 G24-929

 本居宣長著。刊本、大本44巻48冊。原題簽、左肩単辺「古事記伝」。内題「古事記伝」。刊記、第3冊「文化五年辰正月/鈴乃屋蔵板」、第48冊「天保十五年甲辰九月再校/尾州名古屋本町通七丁目/永楽屋東四郎/江戸日本橋通本銀町二丁目/同 出店」「発行書肆/京都御幸町通姉小路下ル 菱屋孫兵衛/同三條通御幸町角 吉野屋仁兵衛/同寺町通三條下ル 蓍屋宗八/同四條通御旅町 田中屋治兵衛/東京日本橋通一丁目 須原屋茂兵衛/同日本橋通二丁目 山城屋佐兵衛/同芝神明前 岡田屋嘉七/同両国横山町三丁目 和泉屋金右衛門/大坂心斎橋通北久太郎町 河内屋喜兵衛/同心斎橋通安上町 河内屋和助/同心斎橋通博労町 河内屋茂兵衛/同心斎橋通安堂寺町 秋田屋太右衛門/尾州名古屋本町通七丁目 永楽屋東四郎」。古語研究を基礎とし、広汎な資料を駆使して『古事記』の内容を実証主義的に究明しようとした宣長畢生の著作。明和4年(1767)起稿、全巻の刊行が終わったのは宣長没後の文政5年(1822)。全48冊のうちには目録3冊と巻17付録『三大考』1冊を含む。展示本は近代後刷本。

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86 古道大意 B40-43

 平田篤胤著。刊本、半紙本2巻2冊。小沢俊秀序。文政7年、平田鉄胤序。原題簽、左肩単辺「古道大意」。内題「古道大意」。上冊64丁、下冊68丁(うち広告1丁)。篤胤の講説を門人が筆記したもの。古道および古学の基本的な問題について、俗語調でわかりやすく説明する。私淑する本居宣長の学風をたたえ、その祖述を基本とする。



 

漢詩文

87 惺窩文集 E43-439

 藤原惺窩著。刊本、大本5巻5冊、続3巻3冊。寛永4年(1627)1月、杏庵正意序。寛永4年6月、東舟子永喜跋。寛永4年4月、土師氏玄同子徳続集序。内題「惺窩文集」。尾題「惺窩文集」。第1冊43丁、2冊38丁、3冊53丁、4冊23丁、5冊44丁、6冊39丁、7冊17丁、8冊43丁。印記「南葵文庫」「島田氏雙桂楼」等。林羅山・菅得庵の編による惺窩の詩文並びに和歌の集。儒者として知られる惺窩であるが、その詩文は老荘、禅に題材を求めており、五山僧であったその出自が思いおこされる。


88 徂徠集 E43-439

 荻生徂徠著。刊本、大本30巻19冊。文政元年(1818)夏、(藤一艸)忠統序。原題簽、左肩双辺「徂徠集 詩 序目一」。内題「徂徠集」。尾題「徂徠集」。第1冊31丁、2冊39丁、3冊33丁、4冊31丁、5冊42丁、6冊24丁、7冊29丁、8冊35丁、9冊37丁、10冊25丁、11冊37丁、12冊22丁、13丁46冊、14冊26丁、15冊40丁、16冊41丁、17冊32丁、18冊27丁、19冊47丁(うち広告1丁)。刊記「書肆群玉堂/江戸日本橋南通三丁目/松本善兵衛」。印記「南葵文庫」等。徂徠の、学者・文人としての側面が窺われる詩文集。漢文は中国古典語であるという主張の下、本文に訓点は施されていない。


89 春水遺稿 E43-1192

 頼春水著。刊本、大本11巻5冊、別録3巻2冊、付録1巻1冊。文政6年(1823)3月、菅晋師禮卿序。文政10年冬、篠崎弼承弼後序。文政11年冬、協跋。原題簽、左肩単辺「春水遺稿 詩」。内題「春水遺稿」。尾題「春水遺稿」。第1冊58丁、2冊41丁、3冊33丁、4冊27丁、5冊48丁、6冊41丁、7冊38丁、8冊19丁。無刊記だが、見返に「藝藩頼氏蔵板」とある。印記「天作堂」等。頼山陽の父、春水の詩文集。「別録」に収める「先府君春水先生行状」には38の伏字があり、初印本によってそれらは「君素以方正見憚/一医官以滑稽進常狎戯諸臣/公曰逢頼某亦能如此耶宴見則呼以先生不名」と確認できる。藩主浅野公に筆が及ぶのを憚ってのことであったろう。


90 詩本草 E45-2314

 柏木如亭著。刊本、中本1巻1冊。文政元年(1818)11月、如亭山人序。万延元年(1860)夏、漫〓居士水原芝書後。原題簽、左肩双辺「詩本草」。内題「詩本草」。尾題「詩本草」。26丁。刊記「水原氏蔵版/万延元年庚申夏/製本所/大津丸屋町/澤宗次郎」。印記「斎藤徹」他。文人如亭が書物や自らの見聞にもとづき、詩を要所に織りまぜて縦横無尽に食を語ったグルメ漢文。