俳諧


 

貞門まで

36 守武千句 A00-竹冷17

 守武著。刊本、横本1冊。自跋。題簽(もとの題簽の上にもう1枚題簽を重ねて貼付)、左肩無辺「守武独吟千句」。内題「誹諧之連歌独吟千句」。52丁。刊記「慶安五年孟夏良辰/野田弥兵衛開之」。印記「南畝文庫」「羽州神山増戸蔵書」「柳町」「竹冷挿架」等。巻末に「右守武以自筆正本写慇校合本」という。巻頭発句「飛梅やかろがろしくも神の春」。追加挙句と跋文から、天文9年(1590)12月3日夜に満尾したと推定される。純正連歌の差合と去嫌に拘泥せず、多岐にわたる題材を縁語・掛詞・秀句・かすりなどの技巧を駆使して表現する。見返に「天文九年作/慶安五年版/蜀山人愛読本/外題蜀山人筆」との朱筆書入あり。


37 犬子集 A00-洒竹130

 松江重頼編。刊本、横本17巻5冊。自序。原題簽、左肩無辺「犬子集」。内題「狗〓集」。第1冊56丁、2冊41丁、3冊36丁、4冊42丁、5冊21丁。序に「同(寛永)十年睦月半に記終ぬ」とある。印記「鶯亭金升蔵書」「福田文庫」「洒竹文庫」等。四季類題別発句集2冊、付句集2冊、上古俳諧1冊より成る。『玉海集追加』跋文によれば、本作は重頼と親重の共同で撰集が進められていたが、両者の不和により、重頼が単独で刊行したという。俳諧の成立を考える上で不可欠の作品。

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38 山之井 A00-洒竹3838

 北村季吟著。刊本、大本5巻合2冊。自跋。題簽・外題なし。内題「山之井春(〜冬)部」(巻1〜4)・「年中日々之発句」(巻5)。第1冊81丁、2冊91丁。刊記「正保五年正月吉日 小嶋市良右衛門開板」。巻4までは季寄書。主要な季題114語を選び、それぞれの季題の下に異称・類語・関連語を小さく注記し、さらにその季題の内容解説、付合の際の心得等を含蓄に富む雅文体で書き記し、次に発句の例句を示す形をとる。巻5は季吟の句日記(450余)を収録しており、季吟撰の発句集ともいうべき性格のものである。展示本は大本形式の孤本で、慶安元年(1648)8月刊の横本形式のものに対して、初版本と考えられていたが、実際には約30カ所の入木補正が認められ、真の初版本ということはできない。巻4末の「正保甲戌一陽天」との記載および内部徴証から、本書の成立は正保4年(1647)12月と考えることができ、初版は翌5年1月に出され、直ちに入木補正されて刊行されたのが展示本で、さらに補正され同年の内に出たのが横本形式であるといえる。



 

談林

39 大坂独吟集 A00-洒竹551

 編者未詳。西山宗因判。刊本、横本2巻合1冊。後補題簽、左肩双辺「大坂独吟集/上下合冊/西山宗因判/延宝三年印本/文政二年四月廿七日東都山下/星店ニ得タリ/此□□ 柳亭種彦」。内題「大坂独吟集/西山宗因批判/十百句」。上冊27丁、下冊26丁。刊記「延宝三乙卯歳初夏仲日板行/村上平楽寺」。印記「稲村文庫」。宗因批点の独吟百韻10巻を収める。作者は幾音・素玄・三昌・意楽・〓永(西鶴)(以上上巻)・由平・未学・悦春・重安(以上下巻)。版本・稿本として伝わる宗因点俳諧を集め、版式をあらためて出版したものと推定される。当時新興の大坂を謳い、宗因の名声に便乗して、夥しく版を重ねた。


40 虎渓の橋 A00-洒竹1159

 井原西鶴、葎宿翁(江雲)、田代松意著。刊本、横本1冊。原題簽「<俳/諧>虎渓の橋 西鶴/江雲/松意」。14丁。刊記「寺町二条上ル町/井筒屋庄兵衛板」。印記「洒竹文庫」。京都の葎宿宅に江戸の松意、大坂の西鶴が会して巻いた百韻3巻に、西鶴と河野定俊の両吟歌仙1巻を添えたもの。『誹諧書籍目録』は延宝6年(1678)刊かとする。

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41 和蘭陀丸二番船 A00-竹冷35

 木原宗円編・版下筆。刊本、横本2巻合1冊。内題「和蘭陀丸二番船」。延宝8年(1680)8月、自跋。51丁。ただし上巻は、34丁あるべきところ初めから22丁までを欠く零本。計50丁。印記「福田文庫」「竹冷挿架」、淡島寒月の鳥形印等。表紙識語朱書「廿一葉程切闕タリ/此書可惜春夏秋ノ半マデ闕タリ下ノ巻/ノ全キニ上ノ巻ノ残本ヲ綴ル/文政甲申夏難波ノ門人柳園種春ヨリ得タリ/柳亭種彦」。見返識語「阿蘭陀二番船/此書ハ欠本也ト雖モ甚ダ珍トスベキ也」。本書は俳諧撰集で、上巻は談林の知名俳人(宗因・風虎・由平・任口・遠舟・惟中ら)の四季発句・付句を収めるが、展示本は四季付句の内、秋の30番目「月を様て千丈の岩」以下、「冬」の部、梅翁(宗因)独吟百韻(発句「なんにもはや楊梅の実むかし口」)の11丁分のみ。下巻は、諸家の雑・恋・名所・釈教・神祇の付句および梅翁独吟百韻2巻(発句「今筑波や鎌倉宗鑑が犬桜」「蚊柱やけづらるゝなら一かんな」)を収める。なお上巻の完本は柿衛文庫蔵。


42 西鶴大矢数 A00-洒竹1211

 西鶴著。写本(高橋仙果による刊本からの臨写)、横小本5冊。内題「大矢数」。兀々子鬼翁序。自跋。刊記、巻4「延宝九辛酉年卯月吉日/大坂呉服町書林深江屋/太郎兵衛板」、巻5「延宝辛酉年/卯月吉日/大坂呉服町書林太郎兵衛板」。延宝8年(1680)5月7日より8日にかけて、西鶴は大坂生玉社別当南坊で2度目の大矢数俳諧を興行し、独吟1日4000句を成就。本書はその4000句を各十百韻ずつ4巻とし、巻5には前々から矢数俳諧の表8句として準備していたものの内、興行に用いられなかった第41から第100までを追加して収録出版したもの。本書の刊本はかつて帝国図書館に1部所蔵されていたが、関東大震災で焼失。したがって展示本の価値は高い。



 

蕉門

43 貝おほひ A00-洒竹564

 松尾芭蕉撰。写本、横本1冊。寛文12年(1672)年正月25日松尾氏宗房序(自序)。寛文12年1月、伊陽城下横月漫跋。刊記「芝三田二丁目/中野半兵衛/同庄次郎開板」。原題簽、左肩無辺「貝おほひ」(判読困難)。内題「貝おほひ三十番俳諧合」。20丁。印記「洒竹文庫」等。伊賀上野の諸家と宗房自身による四季の発句60を左右30番に取り組ませ、宗房が判じたもの。芭蕉の処女著作。小唄や流行語・奴詞に富み、戯興性が濃厚。

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44 冬の日 A00-洒竹146

 荷兮編。刊本、半紙本1冊。原題簽、中央無辺「冬の日 尾張五哥仙 全」。17丁。刊記「貞享甲子歳」「京寺町二条上ル町/井筒屋庄兵衛板」。印記「洒竹文庫」。貼紙多数。芭蕉・野水・荷兮らによる五歌仙および追加の表6句より成る。七部集の一。風狂の趣を基調とし、貞門・談林・天和期の漢詩文調を残しつつ、正風化した安らかな句体や景気の句も散見される。中興期諸家は蕉風開眼の書とした。


45 蛙合 A00-洒竹568

 青蟾堂仙化編。刊本、半紙本1冊。自跋。内題「可般図」。18丁(うち遊紙2丁)。刊記「貞享三丙寅歳閏三月三日/新葦屋町/西村梅風軒彫刻」。印記「洒竹文庫」。深川芭蕉庵に芭蕉・素堂ほか蕉門諸家が会して20番の蛙の句合を行い、その衆議判を仙化が書き留めたもの。1番左は「古池や蛙飛びこむ水のおと(芭蕉)」で、古池の句が喧伝される端緒となった。


46 奥の細道 A00-洒竹524

 芭蕉著。刊本、中本1冊。跋あり。原題簽、中央無辺「おくの□□□」。55丁(うち遊紙1丁)。刊記「京寺町二条上ル町/井筒屋庄兵衛板」。印記「洒竹文庫」。芭蕉の兄半左衛門のもとにあった素龍清書本を原版として、去来が題簽や表紙をそっくり模刻し、元禄12年(1699)もしくは15年頃、井筒屋から版行したもの。本作はこの版本の系統から広く普及した。初刷本は雲英末雄氏蔵の1本が知られるのみ。



 

中興期ほか

47 父の恩 A00-竹冷677

 才牛斎市川三升(2世市川団十郎)編、英一蜂画。刊本、大本2巻2冊。享保15年(1730)庚戌春浪花舊徳序、江都行〓斎安叟(沾洲)跋。後補題簽、左肩双辺「父の恩」(第1冊)。上冊50.5丁、下冊59.5丁。刊記「享保十五庚戌年二月十九日/一葦岩五舟採筆/彫工大久保一富」。印記「竹冷挿架」。初世団十郎二十七回忌に際して編まれた追善集。江戸座俳人の発句と英一蜂の絵を掲載。巻末には彩色刷の破笠の挿絵を配し、色刷絵俳書の最初として注目される。


48 秋の日 A00-竹冷86

 暮雨門編。白図・騏六・支朗全校。刊本、半紙本1冊。張州老隠也有序。原題簽、中央無辺「秋の日五歌仙尾張」。18丁。刊記「安永元年臘月発行/尾張続五歌仙/暮雨門」「張府/風月堂孫助/平安/橘屋治兵衛」。印記「竹冷挿架」。貞享5年(1688)7月20日、芭蕉が尾張国名古屋城北杉村の竹葉軒長虹を訪ねた折の「粟稗にとぼしくもあらず草の庵」を発句とする荷兮筆の七吟歌仙を巻頭とし、暁台門下による四歌仙を加え五歌仙として刊行したもの。見返題「尾張続五歌仙」は、本書が『冬の日』のあとを継ぐものとの寓意。


49 春泥句集 A00-洒竹1508

 春泥舎召波著。柳維駒編。刊本、半紙本2巻2冊。安永6年(1777)年12月7日、蕪村序。原題簽、中央無辺「春泥句集」(上巻)、内題「春泥発句選」。上下巻各36丁。印記「洒竹文庫」。召波七回忌にあたり、その息維駒が亡父の遺句を四季別にまとめたもの。実質的には蕪村による撰という説がある。蕪村序は「離俗論」として知られる。序文の版下は蕪村、本文は几董筆。


50 から檜葉 A00-洒竹636

 几董編。刊本、半紙本2巻2冊。天明4年(1784)1月、村百池跋。なお巻頭「夜半翁終焉記」に「几董謹書/於洛東金福寺牌下」、巻末の哭文・哭詩に「盟弟雨森章廸拝書」とある。原題簽、中央無辺、上巻「から檜葉」、下巻「可羅比波」。上巻23丁、下巻18.5丁。印記「洒竹文庫」等。天明3年(1783)12月25日に没した蕪村のために、高弟几董が諸国の知友・門人から贈られた詞章をまとめたもの。暁台・蘭更・蓼太・嘯山・無腸その他の当代名家が句を寄せている。なお巻頭の「夜半翁終焉記」には蕪村の略歴と臨終の様を伝える。

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51 いそのはな A00-洒竹204

 2世早見晋我編。刊本、半紙本1冊。寛政5年(1793)正月、獅子眠鶏口序。原題簽、中央無辺「いそのはな」。17丁。刊記なし。印記「洒竹文庫」。延享2年(1745)に没した初世晋我の五十回忌追善集として、息桃彦が鶏口の助力を得て刊行したもの。蕪村の俳詩「北寿老仙をいたむ」を収める。

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52 鶯村画譜 A00-洒竹489

 酒井抱一著画。刊本、大本1冊。文化13年(1816)9月、賀茂季鷹序。文化13年9月、蓙堂敬義跋。文化14年首春墨水、菊塢老人跋。見返「抱一上人画譜面/萬象即吾師/屑麥書房蔵」。後補題簽、左肩双辺「鶯村譜画」。尾題「抱一上人鶯邨画譜 全」。柱題「鶯村画譜」。31丁。刊記「江戸浅草新寺町/和泉屋庄次郎/彫刀朝倉八右衛門/文化十四年二月吉辰」。印記「洒竹文庫」「斎藤文庫」。淡彩の草画20余図を含み、『相見香雨集』「抱一上人年譜考」によれば、抱一最初の画本であるという。抱一は初め存義門、後に晩得門。自筆句稿「軽挙観句藻」から自選し『屠龍之技』を刊行している。

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53 おらが春 A00-洒竹505

 小林一茶著。有明庵一之編。刊本、半紙本1冊。嘉永5年(1852)春涅槃日、東都瓢隠居逸淵序。嘉永4年春彼岸仲日、瓢界四山人跋。惺庵西馬跋。原題簽、左肩双辺「おらか春」。表見返「一茶翁肉筆/俳諧文庫/有明菴蔵」。42丁。刊記「信陽有明庵」。印記「洒竹文庫」。一茶独創の年間句文集形式をとる。文政3年(1820)の1年間の発句・文章をまとめた句文集。生前の刊行を目論んでいたが果たせず、没後の嘉永5年、一之によって世に出た。



 

川柳・雑俳

54 武玉川第六編 E32-560

 四時庵紀逸選。刊本、小本1冊。宝暦2年(1752)秋、自序。刊記「宝暦四戌三月/松葉軒/万屋清兵衛板」。42丁(うち広告1丁)。原表紙欠。前句を省いた高点付句集の初め。軽妙洒脱な江戸風成立への関与という点で、極めて重要な書。寛延3〜安永5年(1750-76)まで続刊。


55 柳多留第六編 E32-324

 呉陵軒可有編。刊本、小本1冊。自序。題簽欠、外題打付朱書、左肩「誹風柳多留」。42丁、裏表紙内側に広告。刊記「明和八卯年猛穐吉辰」(本文末)。印記「南葵文庫」「阪田文庫」等。『川柳評万句合』の入選句から「一句にて句意のわかり安きを挙げ」(初編序)て、『柳多留』初編が刊行されたのは明和2年(1765)で、以後、編を継ぎ、川柳死後の寛政3年(1791)の24編までを佳編とし、天保11年(1840)に167編(別編8)をもって終刊する。展示本はその第6編。