清潘希甫撰 光緒9年孫男志万校刊本
左右双辺 有界 毎半葉10行毎行21字 白口
単魚尾 内匡郭18、1×11、8糎
潘希甫、字は甫之。はその号。江蘇呉県の人。道咸の交に帰郷し、まもなく病死した。本書はその太平天国の乱によって散逸した詩・詞を孫の志万が蒐集し、光緒9年に刊行したもの。潘家は蔵書家だったらしく、同じ呉県の出身であり、咸豊2年の進士にして
を号とする潘祖蔭の一族だった可能性があろう。鴛湖日記は道光8年から19年までの断続的な日記。
巻末に「此書蘇城潘石亭所贈三種之一、石亭父慎之為紫陽書院山長、甲申六月卅(ママ)一日、書于呉
鹿門山人」とあるが、鹿門山人とは本書の旧蔵者岡千仭(1833〜1914)のことであり、甲申は光緒10年、すなわち展示本刊行の翌年であった。千仭は明治維新ののち次々と私塾を開いた。綏猷堂など、一時は三千余人の子弟をかかえたという。千仭と潘石亭の交わりもそうしたことがきっかけとなったとみられる。もちろん石亭とは志万のことである。なお岡千仭については宇野量介の「鹿門岡千仭の生涯」が詳しい。